夜の神戸にその名をとどろかせたカリスマホステス、在日2世の皇浦貞子/茂山貞子(ファンボ・チョンジャ/しげやま・さだこ)さんが波乱の半生をつづった「在日 修羅の詩」(講談社)が評判を呼んでいる。貧困と差別を生き抜き、夜の街で成功するまでと、在日としてのアイデンティティー確立に悩む姿が描かれている。皇浦さんに話を聞いた。
――貧困と民族差別に負けず、のし上がっていく姿が印象的だ。在日としての思いは。
在日としての思いは年を経て変わっていく。
物心付いたとき、在日密集地で育ったわけでなく周囲は日本人だらけだった。一緒に遊んでもらえなかったり、ニンニクくさいと馬鹿にされて、「なぜここは日本で、自分は朝鮮人に生まれたのか」と子ども心に疑問に思い、ずっと悩んできた。
運動靴も買えないほど貧乏で学校で男の子にからかわれているのに、どうして祖父や父が言う「民族の誇り」など持てるかと思った。父が破天荒な人間で家庭を顧みないことも嫌だった。
イメージガールコンテストに合格した食品会社の入社手続きで、韓国籍を理由に正社員でなく臨時採用にさせられたこともある。出自にいい思い出がなかったため、自分が在日であることを心の中で抹消していた。本当に心を許した友人以外には、在日であることを明かさなかった。
一度東京に出てから、様々な事情で再び神戸に戻った。そこは同和地区(被差別部落)と呼ばれた地域で、日本にも差別問題があることを知った。また在日の友人が出来たことで、在日としてのアイデンティティーを考えるようになった。
――水商売を始めてからも民族差別を受ける。一方では帰化を考えたこともあるとか。
三宮には老舗のクラブが多数ある。その中で新しくクラブ「薔薇と薔薇」を立ち上げたので、「あそこは朝鮮人」とか「第三国人の店」などと陰口を言われた。
私は反逆心が人一倍強いので、絶対に負けるものかと自分に言い聞かせ、三宮で一番の店になるまでがんばってきた。いまは逆にその人たちに「ありがとう」と言いたいくらいだ。暴力団の嫌がらせを受けたり、脱税容疑で国税局の取り調べを受けたこともあるが、それもハングリー精神で乗り越えてきた。
在日でいいことがなかったので帰化を考えたこともあるが、40年前は相当条件が整っていないと帰化できなかった。自分のような(水商売の)人間が帰化できるなど想像もしなかった(笑)。
日本国籍でないと選挙権がないとか、生活に不便なことは確かに多いが、いまは逆に帰化する考えはない。祖父や父の在日としての誇りを思い出している。
帰化する人は大多数が子どものためだと思うが、子どもの人生を親が勝手に決めるのはおかしい。子どもが将来帰化するかどうかは、子どもの意思にまかせたい。夫も在日だが同意見だ。
――自伝を執筆するきっかけは。
年齢を経ると自分を振り返りたくなるものだ。芸能人やスポーツ選手で在日であることを明らかにする人がこの間増えている。歌手の和田アキ子も昨年週刊誌で在日であることを告白したが、それもそういう思いがあるからだろう。
自らの在日としての半生、祖父母や父母の歴史などを子どもたちに伝えておきたかった。それが子どもたちのアイデンティティー確立に役立てばと考えた。昨年夏に乳がんを宣告されたが、放射線治療を続けながら完成させた。
在日で本を読んでくれた人たちは、「私も同じような差別を受けた」とか、自らの体験と照らし合わせてくれたのが、とてもうれしかった。
――在日3、4世の若者に一言。
いまは韓国も在日社会も経済発展し、生活が豊かになった。露骨な民族差別も無くなったし、韓流ブームもある。在日の若者にハングリー精神を持てといっても難しいかもしれない。しかし人生を生きる中で必ず多くの壁が立ちはだかる。
壁があれば逃げずに、自分を信じて乗り越え、そして夢をつかむ。そういう精神を培ってほしい。その一助に私の本が役立てばと思う。
――店を今月で閉めるそうだが。
開店以来31年間、トップを維持してきたし、阪神大震災で店が被害を受けたときも、4カ月後に再開した。そうやって走り続けてきたが、これからは「散歩の歩み」で生きていきたい。そう考えて閉店を決意した。
焼き肉屋「韓国酒家」と、カジュアルバーの営業は続けていく。
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