在日韓国人を主とする在日外国人と日本人が、子どもから大人まで相互にふれあうことを目的として1988年6月に作られた神奈川県の”川崎市ふれあい館”。来年6月に設立20周年を迎える同館の館長として精力的に活動するペェ・チュンドさん。在日と日本社会の多様化が進み、また在日外国人が急増する中で、ふれあい館の新たな役割を模索している。
「70年代から80年代にかけて、指紋押捺問題、アパートの入居拒否、日立就職差別裁判など多くの差別事件があった。また地域での日常的な差別もあり、それらの差別をなくし、共に生きる地域社会を作るために”ふれあい館”が設立された。ふれあい館に地域の人が集まり、また地域の祭りで農楽を披露するまで数年かかったが、いまでは当たり前のように行われている」
現在、伝統文化を学ぶ「民族文化クラブ」、同胞の子どもたちが集まる「ケナリクラブ」、在日1世が文字を学ぶ「識字学級」、それに「人権尊重学級」「成人学級」「家庭教育学級」「民族文化講座」「ハングル講座」等のほか、在日高齢者の集まる「トラジ会」など様々な活動を展開している。一方で、ボランティア不足、在日青年の数が減少傾向にあることが課題となっている。
「人権講座やハングル講座などの受講生は、日本人が多数だ。地域に定着した証として歓迎したいが、在日の関わりが減少傾向なのは正直残念だ。在日社会も多様化し、民族にこだわらないと人間らしく生きられないという時代状況では無くなって来た。その反映ともいえる」
「1世や2世は日本への抵抗概念の中で民族的アイデンティティーを作った。国民国家の枠で物事を考え、組織もその理念に基づいて運営してきた歴史がある。しかし、3、4世はどうだろうか。抵抗概念としてのアイデンティティーではもはやくくられず、多様なアイデンティティーを模索している。国籍イコール民族という考え方からも脱却しつつある。在日がどう生きていけばいいのか、混沌としているのが現状だ。一人一人が役割を認識し、冷静に考えていく必要がある」
日本国籍取得論、民族教育、在日組織のあり方などの課題をどう考えていけばいいのか。
「運動として日本国籍取得を語ることには抵抗がある。韓国籍を保持したい人はするし、日本国籍を取得したい人は取得する、そういう自由に選ぶことの出来る社会にしたい。先ほど抵抗概念としてのアイデンティティーと述べたが、在日はあまりにもそれに影響されてきた。民族学校の女生徒のチマチョゴリ、祭祀などの伝統行事、そういう形式的なものにこだわることによって自己確認を遂げてきたという状況があった。しかし国民国家論的民族の枠で民族学校や組織を運営する時代は、もはや終わった。その壁にいま直面している。在日組織や民族学校関係者が考え方を切り替えられるかどうかだが、やる必要があるのでは」
一方、在日や日本の青年が歴史を知らないことには強い危機意識を持つ。
「在日青年についていえば、自らのルーツを認識しつつ、それを受容し継承する、そういう場をどうやって作っていくかだと思う。日本の青年の意識も変わり、異文化がかっこいいと言う人も増えた。それはいいことだが、韓日の現代史、その中での在日の位置を知る必要がある」
川崎市も定住外国人が増え、中国人、ブラジル人、フィリピン人など多国籍な人が暮らす。ふれあい館にも様々な人が集まるようになった。
「『ヘンニムの輝き』という桜本保育園をテーマにしたドキュメンタリーを、韓国からの留学生が制作して2002年の釜山国際映画祭で上映したことがある。そこには多文化共生を願う、民族を超えて生きる人々の日常の姿が描き出されている。韓国・朝鮮との共生はある程度なされてきたが、ニューカマーが増えて、その人たちとどう共生していくかが21世紀の課題となってきた。ふれあい館は、地域の中で、日常生活の中で多文化共生を発信してきた。その意義は今も失われていないと確信している。来年の20周年を契機に、新たな実践を模索したい」
来年6月の20周年では、ささやかな式典と報告書を出す予定という。現在63歳のペェ館長は、後2年で引退の意向だ。
「同胞に対してどう仕えるか、一般大衆の庶民的ニーズをどう捉えるかの精神でやってきた20年だった。ふれあい館を一区切りつけたら、次はゆっくりと考えたい」