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2007/11/30

<在日社会>在日新世紀・新たな座標軸を求めて⑦                                                ― 気鋭の東洋史研究者 古代史から現代を分析 李 成市さん ―

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    イ・ソンシ 1952年名古屋市生まれ。82年早稲田大学大学院博士課程修了。文学博士。横浜国立大学助教授、早稲田大学文学部助教授を経て早稲田大学文学学術院教授。ソウル大学校韓国文化研究所特別研究員(1998年)現在、日本歴史学協会常任委員、木簡学会評議員、在日韓人歴史資料館理事、財団法人朝鮮奨学会評議員、国立歴史民俗博物館運営会議委員、韓国古代史学会理事(韓国)。主著『東アジアの王権と交易』『古代東アジアの民族と国家』『東アジア文化圏の形成』『創られた古代』『植民地近代の視座』『創られた古代』(ソウル)。

 「在日の活躍している人をみると、器がひとつでない。在日は多様なものを受容できる複数の価値観をもっていて、これを生かせば東アジアの時代に一番うまく適合できる可能性がある。そのポジティブな可能性を積極的に引き出せるような財団や人材育成の場が必要であり、これからは人文学とりわけ思想、文学、歴史といった人間を対象にする学問が大事ではないか」

 こう語るのは、早稲田大学教授で東アジアの古代史を教える李成市さん(55)。名古屋生まれ横浜育ち。幼いころ、韓国から来て後に画家となるいとこの李禹煥さんと、幼いころ一緒に生活し、本国を身近に感じる。歴史を専攻したのも、彼と進路について相談したことが大きい。

 「大学に入った70年代初めのころは、金達寿氏が『日本の中の朝鮮文化』がベストセラーになり、騎馬民族説や広開土王碑改ざん説、高松塚古墳発見、任那日本府の再検討といった古代史の話題に事欠かなかった。我々が教えられた歴史教育には何か欠陥があるのではないか、政治的思惑で歪められているのではないか。何が本当なのか、古代史の論争を見極めたいということが東洋史研究の動機としてあった」

 古代史研究を通じて、現代に何を発信しているのだろうか。

 「歴史の見直しを提起したい。最初の問題意識は、研究者の国籍や民族が違うと、なぜ同じ史料をみても解釈が違うのかということだった。それは、歴史を近代の民族国家の立場から見るからだと思う。そのような立場からは古代史の実態は捉え切れない。古代には近代のような『民族』という概念も実体もなかったのに、そこに押し込めて解釈しようとする。東アジアの歴史をみると、一つの特定の民族からなる国家はなかった。例えばモンゴル帝国は支配者ですらウイグル、ムスリム、漢族などがいて多民族だった。高句麗や百済でも支配層と被支配層では民族が違っていた。中国史料には、百済の王族と被支配者の言葉の違いが示されている。今の欧州でも、例えば英国の王室はハノーバー朝(ドイツ系)から来た。古代国家では支配者集団と被支配者集団の民族が必ずしも一致していないし、被支配者層はもっと多様だ」

 「私たちがこの百年ぐらい理解してきた古代史は、限られた資料による単純化された解釈でイメージがつくられてきた。そのような一国単位の古代史は、国民国家をつくろうとした際の近代の解釈であり、これを壊す必要がある。なぜなら、ある時代の狭い解釈が時代遅れの『近代人』を再生産することになるからだ。そうではなく、古代における東アジア地域の流動的かつダイナミックな歴史を学ぶと、現在を固定的に考えなくなると思う。新しいイメージが形成され、いままでの歴史解釈より説得力があれば、歴史認識は変わってくる。この東アジアで各国が国単位で我を張っていると、北米やEUに伍していけない。深まりつつある相互依存関係に見合った東アジアの経済的、政治的な統合をめざし、平和と繁栄を築いていかねばならない。その意味で、古代史から学ぶべきことがある」

 李成市さんの古代史研究は、韓日の歴史学会から引っ張りだこで、『東アジアの王権と交易』(青木書店)など著書も多い。韓日の歴史研究の仲立ちも果たす。

 「常に新しい研究はマジョリティーではない。この5、6年は韓国の大学や学会からの講演や発表の依頼が多い。韓国で99年に出版した『創られた古代』は版を重ね、あなたの本を読んで早大で学びたい、と韓国から留学生が毎年訪れる。逆に私の教え子は必ず韓国に留学させている」

 「つい最近まで、韓日の歴史学会は没交渉だった。これではいけないと、2001年から韓日双方の友人たちと東アジア歴史フォーラムを組織し、既存の歴史学の克服を目指して交流している。植民地期の歴史認識など、全く異なる歴史解釈を共有するために討議をくりかえして、両国で各々『国史の神話を超えて』(ヒューマニスト)、『植民地近代の視座』(岩波書店)という本にまとめた。東アジアの視点で、この地域の歴史認識を近づけたい。98年に1年間のソウル滞在中にショックを受けたのは、私の長期滞在を喜んでくださった老大家が日本への不信感を露にしたことだ。温厚篤実え知られる先生は日本人研究者の知人も多いが、植民地期の日本留学のために一族が大変な屈辱を味わったという。初めて口にされた事実に呆然とした。和解とはこうした心の傷からの開放であることを思い知った」

 「植民地支配は、支配した側が負の財産を背負い込むことでもある。日本は植民地支配で良いこともやったというが、あれだけ残酷で非人間的な統治を良いことだと言いくるめるには相当に自分をごまかさなければならない。すると当然のことながら人間性が破壊される。精神分析学的にみると、植民地支配の後遺症として、今日の日本の精神状況を拘束している面があるのでないか」

 現在、6世紀から8世紀ごろに韓日中で「つけ札」などに使われた木簡の研究に力を入れる。

 「日本や中国では何十万本も発見された木簡。韓国では慶州や咸安などから300点程しか出土していないが、日本木簡のルーツを探るために決定的な意味を持つ。中国の木簡はそのまま日本の木簡に結びつかない。どのように受け継がれ変容してきたのか。韓国の木簡をみて、初めて分かる。韓国の木簡を検討してみると、日本の漢字文化のルーツが韓半島にあることが見えてくる。国立昌原文化財研究所との共同研究の成果を年内に発表する」

 在日問題でも積極的に発言する。

 「大学で韓国文化研究会というサークルに入った。1年上に姜尚中氏がいて、1年下には李良枝氏(故人)がいた。どっぷり浸かるという感じではなかった。しかし、学生たちを教えるようになると、いろんなことを考えさせられる。日本人学生に、自分との関わりで韓国史の話をするが、自分の子供にそのようなことをしてきただろうかと自問自答したのがきっかけだった。ではどう語ればいいのか。在日は得がたい可能性を持っている。在日という感性には、いろんな可能性があり、その可能性を自覚できたら強い生き方ができるはずだ。だが、なかなか自己肯定は容易ではない。だから夢とともに手触りのある目標を提示することが大切だ」

 「学生たちによく言うことだが、こんなに近い国(北朝鮮)と国交を結んでいないのは何故なのか。北朝鮮にも問題はあるが日本にも責任がある。日本を知るためにも、世界を知るためにも韓国・北朝鮮の現在について、もっと知ってほしいと訴えている。これは歴史を教える私の責任でもあると思っている」