1945年の祖国解放から62年目を迎えた。韓半島では分断の克服に向けて動いており、在日社会も世代交代が急速に進み、新しい生き方を模索する若者が増えている。在日の未来に向けた座標軸をどう設定すればいいのか。映画、演劇、テレビ界などで活躍する在日に語り合ってもらった。(司会=本紙編集局長・金時文)
◆出席者◆
CMディレクター・映画監督
具 秀 然 氏
新宿梁山泊代表・映画監督
金 守 珍 氏
音楽家
尹 漢 信 氏
映像作家
梁 英 姫 氏
司会 表現活動の現場で在日をどう表現していくか。各自の考えがあると思う。表現活動の苦労も含めて聞きたい。
具 CMディレクターとしてヒットを飛ばすことが出来たのは、自分がマイノリティーだからこそ見えた人間の本音をCM制作に生かしてきたからだ。例えばエステサロンのCMで考えた「私、脱いでもすごいんです」は、見た目を重視する社会の本音を描いたことで評判になった。
そういうマイノリティーの視点を武器にするのは、外国でもよくあることだ。数年前に発表した自伝的小説「ハードロマンチッカー」は、一人の在日青年が日常的にある暴力と向き合いながら成長していく物語だが、マイノリティーとしての一種屈折したエネルギーを爆発させることが、表現活動につながってきたと思う。
梁 家族とは普遍的でとても面白いテーマだ。世界中で多くの映像作家が家族をテーマにドキュメンタリーを撮るのも、その普遍性に魅力を感じるからだろう。北朝鮮を熱烈に支持した父、その父の命令で北に帰った3人の兄という私の家族を見て、他の家族に負けない面白い素材と思った(笑)。この作品を通して在日と「祖国」との関係はもちろん、家族とは何か、人間とは何か考えてみたかったし、その思いが伝わったのでロングランになったと思う。
この作品を撮ったらビデオカメラから離れようかとも思ったが、逆に撮影意欲がわいてきて、いま新作にチャレンジしている。
尹 音楽というものは本来自由な表現活動のはずなのに、組織にいるとどうしても制限がある。僕は少年の頃からジーンズとロックが大好きな<普通の少年>でしかなかったのに、それが在日社会の中で、何処か型にはめられた部分を感じながら、ずっとジレンマを抱えていた。また歌舞団の団長を務めていて、後輩たちが自由な表現活動を出来るようにどう環境を整えていくか、というのも大きな悩みだった。
3年前にフリーとなったが、一曲一曲が自分の宝になるように歌っていきたい。コリア民謡のリズムを変えて歌うとか、オリジナルの曲にハングルを入れて歌うとか、新しいことにチャレンジしてきた。例えば冬ソナなんかも原語のハングルで歌ってこそ雰囲気が伝わるはずだ。伝統音楽にオリジナリティを取り入れて新たに伝えるとか、在日で音楽を志す後輩のために、自分が道を切り開くとか、八ヶ岳にプロデューサーと理想の<歌舞団>をつくって、在日の後輩のためのプロダクション、事務所、スタジオをつくり活動を支援したい。そういう拠点をつくりたい。
金『夜を賭けて』の映画を制作したとき、新人オーディションを行ったが4800人の応募があった。そのうち1500人と会ったが、680人が在日だった。その中で本名を名乗っているのは100人ほどだった。日本は自由な社会になったと思ったが、日本社会で本名を名乗ることが、いかに大変かということを思い知らされた。
マイノリティーとしての在日の文化を伝え、韓国や日本の人々と対等に話せる在日社会、在日文化を育てたい。そのために新しいチャレンジをしている。韓国の演劇人との交流も積極的に行っているし、在日3世の韓国伝統楽器奏者で、新しい伝統音楽を作ろうとしているミン・ヨンチさんと共に新しい表現活動を模索しているところだ。
司会 民族と国籍、祖国との関係、アイデンティティーなど、在日の現状をどう見ているか聞きたい。
梁 大学生のとき、将来どういう演劇活動をすればいいのかずっと悩んでいた。その当時は本名で劇団を作ることなど不可能と考えていたが、金守珍さんや鄭義信さん、金久美子さんら先輩たちが新宿梁山泊を旗揚げしたのを見て、本名で演劇活動も出来るんだと勇気付けられた。それが在日の劇団パランセ結成に結びついた。作家の梁石日さんや柳美里さんなど、いまでは本名でメジャーになった人も多く出ている。金守珍さんの映画に応募した在日の人が日本名を使っているというのは驚きだが、日本も在日社会も変わってきていることは確かで、そこに展望を見出せるのではないか。
尹 民族学校から民族活動と、ずっと組織と同胞の中で過ごしてきたが、昔は民族差別に対して立ち向かっていくスピリットがあった。先生たちから学んだのは、勉強よりもそういうスピリットだった。それがいつの間にか思想だけが優先されて、何か堅苦しくなってしまった。在日の若者について言うと、スピリットが薄れて、情報や知識ばかり優先されている。民族性とか在日の生き方は、知識だけでなく心で知る必要があるのでは。
私には18歳の娘がいるが、彼女の中にも、そして在日コリアンの中にも、未だ「日本で生まれた朝鮮人」という事を隠そうとする意識がある。バイト先で自ら通名を名乗ったり、朝鮮人、韓国人というのが嫌だから帰化をする。他の国の多くの人たちは母国を愛し、それでなお、自身の活動拠点の地を愛しその国に帰化するのに、在日の場合はそこが違う。2世、3世、4世らは、1世のような苦労をしていないが、「語り継がれた過去の歴史」という自分では体験しきっていない過去に浸り、そこに屈折を覚え、自身の問題を全てそこに持っていく傾向がある。
金 日本も在日社会も過去を清算できていない。だから本名と通名の問題がいまだに存在するし、差別が残り、若者にもそういう負の意識が受け継がれている。しかし、在日社会はそれを清算しようと念願しているし、だからこそ未来は明るいといえるかもしれない。国籍にこだわる必要もないし、日本国籍を取りたい者は取ればいい。ただルーツやアイデンティティーを自覚しておくことが大切だ。私は子どもが2人いるが、将来国籍や住む国は変わっても、韓国名は大切にしてほしい。
具 国籍ではなく自らの血というか、ルーツをどう認識するかだ。外国にいると18歳ぐらいでもルーツを認識している。クルド人の若い女性に会ったことがあるが、ルーツをしっかり認識し、民族の現状を話すのに驚いた。私の子どもたちは二重国籍だ。22歳になるまでに選択するのだが、思ったとおり自由に生きてほしいと思う、ただ金さんと同じく韓国名は守ってもらいたい。妹が在日として下関市で初めて職員になった。外国籍は管理職に制限があり、就職するときに係長以上を希望しないという誓約書にサインをさせられた。こんな状況も変わっていくだろうし、変えないといけない。
梁 米国で5年ほど暮らしたとき、バックグラウンドをしっかり持っていない人はだれも相手にしてくれないと言われて、なるほどと思った。在日として、女としての自分を表現していきたい。本名使用も当たり前になったし、在日の将来は見えているというか、明るいという気もする。韓国の人も北の人も、その国でアイデンティティーを確立する。在日は外から客観的に見える。そういう中でダイレクトに伝えることができるのではないか。両方を冷静に見つめ、両方に伝えることができると思う。
国籍やどこに住むかではなく、ルーツをどう認識するかだ。たとえば将来NGOを作って北の子供たちに薬を届けるとかやってみたいと思っているが、NGOを作るには日本国籍でないといけないと聞いた。その場合に日本国籍を取ることもあり得る。いまは本名で日本国籍を取ることもできるので、昔より抵抗は少ない。
司会 在日の文化活動を充実させ、それを通じて日本社会をグレードアップしていけるか。
具 社会貢献が今後の大きなテーマになるだろう。その時に文化をきちんと構築していくことが大切だ。たとえば焼肉料理は、韓国にも日本にもない在日が作った食文化だ。映画『プルコギ』を作ったのも、在日の食文化ということを訴えたかったことが一つある。
パチンコ産業も在日が育てたもので、大きなビジネスモデルを日本社会に提示した。こういうものが参考になると思う。
アジア圏の文化は白人からするとサブカルチャーで、在日はサブカルチャーの中のサブカルチャーだ。魅力的な文化活動を提示することで、いろいろと貢献できると思う。そこで大切なのは、広告戦略では相手に全てわからせてはいけない。どこか曖昧な部分を残しておくことが大切だ。理解してもらおうと考えすぎると失敗する。感じてもらうような表現を積み重ねると相手から意見が出てくる。
金 演劇も内面をすべて話すと面白くなくなる。ミステリアスにして、後の評価は観客にまかせるのがいい。在日は曖昧さを出すことができる存在だから、そこが面白い。
具 欧米にはない、アジアの曖昧な言語、曖昧な文化が武器になる。曖昧さは逆に伝わりやすい部分があるからだ。もう46になるので、暴れることのできる方法を探っている。その方法論が見つかったら一番の早道を進みたい。『偶然に最悪な少年』という小説を書いて映画化もしたが、自分が「偶然に最悪」と思っていれば、何でもできるものだ(笑)。
尹 『ウリハッキョ』という映画が韓国で反響を呼んでいるらしい。朝鮮学校のハングルは韓国では通用しないが、民族意識を育んできた功績は大きいと言った韓国の大学教授がいた。しかし、在日のハングルを一つのなまりと考えたら、それでいいのではないか。そういう風に前向きに考えることが大切だと思う。そのためにも私たちが生活している日本という国を受け入れることが大切だと思う。
梁 在日の子どもたちを取材をする機会が以前あったが、いじめを受けたりプライドをもてない子どもたち、自分を卑下するこどもたちを数多く見た。在日の大学生とかにも会うが、日本人との結婚はだめと思っていたりとか、何となく自分を卑下したりとか、本名を使わないとか、良い印象を在日に持っていない。10代の子がいまだ悩んでいるのを見て根本的な部分が変わっていないのは悲劇だと思う。若い子が自信を持てるサンプルに自分がなれればと思う。
『ディアピョンヤン』を撮影していて、過去を知るのがいかに面白いかを知った。いかに過去をきちんと見ていなかったかを知った。北がああいう国になったのも理由がある。そういういろいろな話を紹介していきたい。過去を知ることは今を知り、いい将来を作ることだと再認識している。歴史は無機質な存在でなく、飛び出す絵本のように面白い。そういう体験を若い人にも知ってほしい。在日だから出来ないという言い訳はもう通用しない。どこの国にいてもコリアンとして活躍できる社会にしたい。それと『ディアピョンヤン』で明かせなかった話を、フィクションの形で紹介したいとも思っている。ドラマの脚本も今後書いてみたい。
金 在日社会はこれまで生きるのが精一杯で文化が欠けていた。しかし、文化は精神、心を形成するものであり、その重要性を訴えたい。祖国の統一も一日も早く実現してほしいし、そのために文化が貢献できる面もあると思う。そのためにも在日のネットワークを広げたいし、在日メディアがその一助になってほしい。
いま、『夜を賭けて』の第2部を企画している。大村収容所を舞台にした作品で、日本の戦後処理の中で在日の悲劇が始まったことを伝えたい。第2稿の最中だが、「いつの日にかきっと 」というタイトルにして未来への希望を訴える作品にしたいと考えている。
司会 座談会の最後にふさわしい映画のタイトルだ。在日の未来に向けて、みなさんの今後の活躍を期待したい。