韓哲文化財団(韓昌祐理事長・写真前列右から5人目)の助成金伝達式が24日、都内のホテルで行われ、学術・文化・芸術・福祉など各分野7人に助成金が伝達された。同財団として初の伝達式で、財団では今後、規模を拡大したいとしている。
韓昌祐会長は、「財団の出発点は韓国と日本の友好促進だった。両国が未来に向けて進む中で、韓国人の日本に対する感情的な問題、日本人の韓国に対する無知を是正することに貢献したい、これが韓哲文化財団の前身である韓国文化研究振興財団の出発点だった。学術振興を20年続けた後、芸術・文化など助成の対象を広げたいと考えた」と、財団の歴史を説明。
さらに、「韓哲は高校生の時に事故で亡くなった長男の名前。息子が生きていたら何を成し遂げたかを考え、また息子の名前を残しておきたいと思い、この名前にした。いまは小さな財団だが、将来は世界に通用する財団にしたい。芸術・文化・スポーツ・福祉など助成分野を広げ、わかりやすく楽しい財団にしたい」と強調した。
在日2世で歌手・演奏活動を行い、秋にアルバム「星を追いかけて」を発売予定の尹漢信さん(前列右から4人目)、「私は1世の父と日本人の母の間に生まれた。朝鮮学校を卒業してから朝鮮歌舞団で長く活動し、団長を務めた。その後独立して音楽活動を行うことを目指し、日本人のプロデューサーと八ヶ岳にスタジオを構えた。在日として在日の人生を歌い、メッセージを伝えていきたい。音楽で心を一つにすることができれば」と語った。
映像作家で自らの家族を追ったドキュメンタリー『ディア・ピョンヤン』が話題となった梁英姫さん(前列左)は、「私は在日の密集地で生まれ、朝鮮総連にすべてを捧げる父の姿を見て育った。20代は父への反発だけだったが、30代になって父がそこまで活動する理由を知りたいと思い、ビデオカメラを回し始めた。撮影を続ける中で、私が父や母の時代を生きたらどんな人生の選択をしたかと考え、父の人生を少し理解できた気がした。10年かけて撮影したものをスタッフと映画化した」と話した。
これまで30の映画祭に参加し、サンダンス映画祭、ベルリン国際映画祭など6つの映画祭で受賞。現在も国内外で上映が続いている。
「在日のある家族の物語を、みんなが見てくれた。これからも在日をテーマにしたドキュメンタリーを撮りたい」と述べた。
韓国、日本、中国などの舞踊家が交流するイベント「第1回国際ダンスラウンドテーブル東京2007」を主宰する石井かほるさん(前列右から3人目)は、「今回の助成をもとに、現代ダンスの交流をさらに広げていきたい。財団の名前の由来を韓会長からお聞きして、悲しくなるくらいすばらしい話と感極まった」とあいさつした。
「訪問介護事業所ナビ荒川」を2002年に開設し、在日高齢者のための福祉事業に取り組む林瑛純さん(前列左から2人目)は、「在日障害者、高齢者のための活動を在日の仲間と取り組んできた。在日高齢者のいる家庭に訪問介護を行うため、朝鮮料理を作り朝鮮語が話せる在日ヘルパーを、これまで20人育ててきた。私はケアマネージャーとして、介護計画書の作成や都との交渉などにあたっている。助成金は、在日障害者・高齢者の福祉を発展させるため使いたい」と話した。
昨年の高校生横綱で春日野部屋に入門した李大源君は場所中のために出席できず、父親の李鍾根さん(前列右から2番目)が、大源君のあいさつを代読した(別掲)。大源君は序ノ口西32枚目で大阪場所5勝2敗だった。
出版助成の李光奎さん(在外同胞財団前理事長)と田尻義了さん(九州大学文学部考古学研究室研究員)は海外出張などで欠席のため代理人が受けた。
パーティでは、同財団の理事で世界的な在日の建築家、伊丹潤さんが乾杯の音頭をとり、「助成金は文化勲章に等しい重みがあり、芸術家にとっては特に励みになるものだ。今後、世界を目指してがんばってほしい」とあいさつした。
◇「大相撲で活躍し韓日友好に貢献」 李大源君(力士)
東洋経済日報に掲載された韓哲文化財団とマルハンの特集記事を読み、とても感動致しました。大相撲の世界に在日韓国人が入り、活躍することで、韓日友好に貢献できればと考えています。春日部屋入門後も、在日韓国人であることを明らかにして頑張りたいと考えています。親方にもその旨をお話して理解を頂いております。
当面は本名で土俵に上がり、四股名が決まった段階で、在日韓国人と日本人の有志による後援会設立を計画しています。助成金は会の運営費として使用したいと思います。このことは、私にとって大変な励みとなります。今後も努力を重ねたいと思います。