大分で開かれた「第63回国民体育大会」(大分国体、9月27日~10月7日)で、大阪朝鮮高級学校3年生の尹成得(ユン・ソンドク)選手が大阪府代表としてボクシング競技ミドル級(少年男子)に出場し、見事優勝を飾った。朝鮮学校生のボクシング競技などの参加が認められたのは2006年大会からで、優勝は今回が初めてとなる。
尹選手は中学までサッカー部に所属し、大阪朝鮮高級学校入学後、ボクシングを始めた。持ち前の運動神経と厳しい練習でめきめき上達し、2007年の高校総体(インターハイ)で優勝。今回、大阪府代表として国体初制覇をかけていた。
決勝の相手は静岡県代表の岡田良綱選手。尹選手より10㌢の長身だが、得意の右フックと左ストレートを決め、10対6で判定勝ちした。朝鮮学校生の国体出場が可能になったのは、2006年の兵庫国体からで、3年目で初の優勝者が誕生したことになる。
尹選手は試合後、「(インターハイに続き国体でも優勝して)最高にうれしい。闘争心だけは負けないようにと思いながら闘った」と話した。
国体が始まったのは1946年。スポーツ振興のために始まった大会だが、国籍条項があったため、1957年、甲子園優勝投手の王貞治さん(早稲田実業)が出場を認められなかったのは有名な話である。その後も甲子園で準優勝した静岡商業の新浦壽夫投手(韓国名・金日融)が出場できなかった。
日本の国際化が進み、外国籍選手の出場を認めるべきとの声が強くなり、81年になって規則が改正され、一条高(学校教育法第1条に定める学校)に在籍または卒業した外国籍者(永住者)の出場が認められるようになった。しかし、朝鮮学校やインターナショナルスクールは各種学校扱いのため出場が認められず、2005年になってようやく門戸開放が決まり、2006年の兵庫国体から初参加できるようになった。ちなみにインターハイは94年に出場が認められている。
国体関係者は、今回の尹選手の優勝について、「一つの歴史がつくられた」と語っている。
大阪朝鮮高級学校の玄・教務部長は、「尹君は大阪府の代表と同時に、全国の在日代表という気持ちでがんばってくれた。朝鮮学校は各種学校扱いなので運営に苦労している。外国人学校に関心を持ってもらうきっかけにもなってほしい」と話す。