8月6日は広島、9日は長崎に原爆が投下された日で、今年63年を迎えた。韓国人被爆者に対する健康管理手当未払い問題など、未だに課題が残されている。5日には広島市中区の平和記念公園にある「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の前で、韓国人被爆者の慰霊祭が行われた。
今年6月11日、海外から被爆者健康手帳を交付申請できるようにする改正被爆者援護法が成立し、半年以内に施行されることになった。これによって被爆者健康手帳を持つ韓国人原爆被害者は、早ければ年末には、韓国にいたままで1カ月3万4000円の健康管理手当を、海外公館で申請できるようになる。
これまでは被爆者本人が日本を訪れ、被爆当時に居住地していた地域の地方自治体長に直接申請しなければならなかった。 海外に居住する被爆者は現在、韓国人2300人余(健康手帳所有者1700人余)を含み4500人余と推定されている。
昨年2月には、日本の最高裁が健康管理手当の支給に関して「時効」を認めない判決を出し、日本政府は過去の未払い分全額の支給を開始していたが、申請書が廃棄処分となって追跡調査が出来ず、未払いとなるケースが相次いでいた。韓国原爆被害者協会は7月末、日本の支援団体とともに広島市を訪問し、531人分の未払い者名簿を提出して、名前の確認と手当ての支給を求めた。
韓国原爆被害者協会の調査によると広島・長崎での韓国人被爆者は約7万人、そのうち約4万人が被爆で亡くなり、2万3000人が祖国に帰り、約7000人が日本に残った。在韓被爆者たちは67年に「韓国原爆被害者協会」を結成し、原爆被害の補償と核兵器廃絶を求めて活動をしてきた。
1970年には在韓被爆者の孫振斗(ソン・シンド)さんが被爆者手帳の交付を求めて裁判を起こし、78年最高裁で勝訴し、在韓被爆者が手帳を交付される道を切り開いた。これに対し日本政府は、「渡日治療」という名前の、日本に渡日した者だけを期限付きで治療するという方針を出した。
また健康管理手当の支給について旧厚生省は74年、「離日すると被爆者の地位を失う」と通達していた。その後2003年に通達を廃止したが、地方自治法の時効(5年)を適用して、97年11月以前の未払い分については払わなかった。
90年代に入り、韓国、米国、ブラジルの被爆者が共同で先の通達廃止と在外被爆者への手当支給を求めて裁判闘争を行い、勝利していた。
さらに病気で渡日できない在外被爆者が日本の代理人を通じて申請を行っても不許可となったことに抗議し、海外申請が今年やっと認められるようになったのである。
広島で被爆して亡くなった韓国人犠牲者の慰霊祭が5日、広島平和記念公園内の「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の前で、在日韓国民団広島県本部(権五源/クォン・オウォン団長)主催で行われ、約250人が参列した。権団長がこの1年に亡くなった5人を加えた2633人分の死亡者名簿を奉納し、「平和の実現に向けて全力を尽くす」と述べた。その後、在日の女性たちによる慰霊の舞、慰霊歌の合唱などが行われた。