◆初ゴール決め勝利を 在日4世 李忠成(22、サッカー男子)
李忠成(り・ただなり、イ・チュンソン、22、柏レイソル)は1985年東京生まれ。在日韓国人4世で、2007年2月に日本国籍を取得し、北京五輪男子サッカー日本代表入りを果たした。朝鮮第9小、柳沢中から田無高校卒。こみねFC、横川FCジュニアユース、FC東京ユースチームを経て2004年FC東京に入団。翌年柏レイソルに移籍した。
在日3世の父は、若い頃サッカー日本リーグの選手としてならした。
「父のサッカー選手時代を直接見たことはないが、話には聞いていた。その影響か自分も小さいときからサッカー選手を夢見ていた。父にはサッカーをやるならフォワードをやれと言われた」
民族教育にも熱心な家庭で、祭祀など伝統文化を大切にして育った。李選手もずっと本名で生活していた。中学から日本の学校に通ったのは、地元クラブでサッカーを続けるためだった。
父からは「同じ実力だったら(レギュラー争いで)日本人に負ける。人の何倍も努力して、絶対に負けるな」と教えられる。李選手自身も、「李の名前を背負う以上、絶対に一番になる」と、厳しい練習に耐えた。
豊富な運動量、泥臭くても貪欲にゴールを狙うプレースタイルが反町康治・サッカー五輪代表監督に認められ、日本代表入りを打診される。
「日本で育ち、日本代表入りは夢だった。自分のプレーが世界で通用するか試したい」と日本国籍取得を決意。アイデンティティーの証しである李の名前で帰化した。
日本代表入りが決まると、髪を金銀銅の3色に染めて記者会見に臨み、メダル獲得をアピールした。
「自分がゴールを決めることが日本の勝利につながる。五輪で活躍することで在日社会に勇気を与えたい」
◆韓国選手に勝ちたい 日本定住 早川浪(23、アーチェリー女子)
早川浪選手(はやかわ・なみ、23、日本体育大学4年)は1984年、韓国・全州生まれ。韓国名を嚴惠浪(オム・ヘラン)という。「恵みが波浪のごとくあるように」と祖父が恵と浪の字をつけた。
小学校5年生でアーチェリーをはじめ、韓国ジュニア代表も経験する。スポーツエリート校の全北体育高校に進学し、卒業後は、実業団の韓国土地公社に就職するが、「練習だけの毎日に疑問を感じて」退職。
アーチェリーをやめ、「社会をもっと知りたい。日本語とネイルアートを学びたい」と、日本人と再婚した母を頼り2004年2月に来日、兵庫県尼崎市で日本語学校に通う。
しかし一度は捨てたアーチェリーへの思いが募り、日本体育大学に入学して再度アーチェリーを始める。韓国で培った基礎に加えて、日本で学んだスポーツ心理学・スポーツ栄養学などの運動生理学を取り入れ、チームの中心選手になった。
2006年1月に日本国籍を取得した。日本名には韓国名から浪の字を取った。好きな日本語は「やればできる」。趣味は裁縫・刺繍。
2007年の世界室内選手権で初優勝。同年7月にドイツのライプチヒで開かれたアーチェリー世界選手権では予選4位。最終的には個人女子17位となり、北京五輪出場権を獲得した。今年5月の北京オリンピックテスト大会では個人6位に入り、本選でのメダル獲得が期待されている。
「2つの祖国への思いをいつも大切にしている。韓国人選手は小さいときからの知り合いばかり。五輪ではその韓国人選手を破って金メダルを取りたい。それが韓日両国への恩返しになると思う」と話す。
妹の嚴惠漣(オム・ヘリョン)さんもアーチェリー選手で同じく日体大に通う。惠漣さんも将来の五輪有望選手で、日本国籍取得を検討中だ。「2人でロンドン五輪に出るのが夢」という。