在日が生みだした産業に焼肉がある。全国に2万店、市場規模は1兆円を超える。その中で、都心を中心に直営の56店舗を運営する叙々苑は、高級焼肉店として有名だ。オーナーの新井泰道社長(66)は、横須賀生まれの在日2世。中学3年の時に家を飛び出し、東京の焼肉店に丁稚奉公。文字通り裸一貫で今日を築いた。
「仕事一筋の50年間だった。焼肉以外、50年間ほかの仕事は1日もしていない。経営は任せっきりといっていい。お客様にたくさん来てもらうことが経営であり、私がしたのは美味しい焼肉をつくることだけだ。これを貫いてきて今日に至った。変な話だが、私の頭を輪切りにすれば、焼肉しかない」
そんな焼肉人生の朴社長だが、その原点は16歳から13年間働いた神田の焼肉店「大同苑」での厳しい修行にある。
「住み込みで毎日15時間働いた。辛かったが、意地張って出てきたので帰れなかった。背水の陣みたいなところがあった。昔と今の違いはそこにあると思う。在日として生まれたから頑張れたというのがあるが、在日1世の女将さんにすべてを叩き込まれたのが幸運だった。また、病気になってはいけないと、自分の体を大事にした。生まれてこの方、丸1日寝込んだのは2回だけ。30代までは一度もない。健康そのものだ」
だが、独り立ちして、店を借りようとしたが、在日であるため不動産家からことごとく断られる。
「最初小さい店を出したが、次からはすべて断られた。最後にやっと『ルールさえ守ってくれたら構わない』とOKしてくれた大家さんのお陰でいまの六本木本店ができた。32年前のことだ。その後、バブル時代の91年に西麻布のメイストリートに36億円かけて店(游玄亭)を出した。当時、焼肉店はみんな裏通りにあった。オレは表通りでやってやるという気持ちが強かった。在日の意地だったのかもしれない」
ルーツは慶尚南道の馬山。在日が創り出した焼肉に強烈な思い入れをもっている。
「小さい頃から食べているキムチ、焼肉ほどうまいものはこの世にない、不景気でも怖くはない。こんなに美味しいものが絶対に負けるわけがないと信じている。在日として生まれ、在日の料理に誇りもっている。この仕事に携われて本当に幸せだ。なぜなら、たくさんの日本人客がキムチ、焼肉を美味しいと言ってくれるのは、自分の国、自分の血を褒められていることであり、こんなに嬉しいことはない」
単なる事業家ではない。独特の哲学をもっている。
「高級店はカネさえあればできるが、一流はカネがあってもできるものでないという人がいたが、私は一流をめざした。お客様の要求を汲み、こうしたら喜んでもらえるのではないかということをいつも考えた」
叙々苑の特徴は、個室をもち接待できる店だ。年間来客数は300万人を超える。
「安い路線はだれでも参入できると思うが、高級路線は参入するにしても、そう簡単なことではない。高級店ほど料理の内容に対するお客様の要求が強くなる。内容がしっかりしてこそ、普通より高い値段をとることができる。それを作り上げているのは伝統と努力だ。うちは社長以下、役員全員が職人あがりで、味の方を中心に守っている。この姿勢を貫けば将来も安泰だと確信している」
業界のリーダーとして、2003年から全国焼肉協会会長としての活動も展開している。
「10年前に事業協同組合の認可を得た。国で認めているので大きな力をもつ。韓国人、日本人関係なく、国がこの事業に協力するという関係つくった。世間も一人前扱いしてくれる。これは続けていかなければいけないと思う」
在日社会の未来についてはこう語る。
「国籍は別にしても、在日の社会は続くと思う。これは永久不滅だ。中国の朝鮮族も、国籍は中国でも朝鮮族と認めている。朝鮮の教育もしている。そういう現実がある。ルーツを隠さないことが大事であり、在日社会も良い状況になってきている。将来は明るいと思う」
在日新世代への激励も忘れない。
「ガッツがあってほしい。いまの若い人はハングリー精神が少し弱いのかも知れないが、あれこれ手を出して実を結ばない場合が多い。夢というかポリシーが必要だ。一つのことを見つけて貫いてほしい。そうすれば、きっと道は開けると思う。一つは熱意の問題だ。私も一途に命がけでやってきた。若い人の励みになれば幸いだ」