在日3世の眼科医、李俊哉さんは、国際パラリンピック委員会(IPC)公認の視覚障害調査委員の資格を持ち、ブラインドクラス(視覚障害)の医療スタッフとして、障害者スポーツ大会の運営に協力を続けている。9月に開催される「東京2009アジアユースパラゲームズ」でも調査委員を務める李さんに話を聞いた。
「東京2009アジアユースパラゲームズ」は、9月11日から13日までの3日間、都内6カ所のスポーツセンターで開催される。韓日はじめアジアの国々から障害のある青少年が参加し、陸上競技、ボッチャ、ゴールボール、水泳、卓球のパラリンピック5競技、それに公開競技として車いすテニスが行われる。アジア地域の友情を育み、障害者スポーツへの理解促進を目指す大会だ。
李さんは、同大会に出場する視覚障害者の認定とクラス分けを行う。在日でこの資格を持っているのは李さんだけで、日本全体でも2人だけだ。
「視覚障害を持つ参加選手は矯正視力で3つに分けられる。アジアではまだ医療設備が整っていない国が多いので、視覚障害の検査もきちんと出来ていない。大会を公正に行うために、正確なクラス分けのためのメディカルチェックが大切になる。視覚障害者だけで150人が参加予定なので、クラス分けは大仕事になる」
李さんが同調査委員の資格を取るきっかけは、98年に長野で開かれたアジアで初のパラリンピック(国際身体障害者スポーツ大会)だ。出身校である信州大学の推薦でブラインドクラス(視覚障害者)の医療スタッフに選ばれた。そして大会期間中、世界中から集まった視覚障害者の人々がスポーツに打ち込む姿を見て、感動し、障害者スポーツに関わっていくことを決意した。
また国立身体障害者リハビリテーションセンターの眼科医師に出会い、新たな眼科治療とリハビリの必要性を知って同センターに移った。
「社会復帰につながるリハビリの重要性を、日本ではまだ認識していない人が多い。患者が残された視力の中で、どう普通の生活をしていけるか、その治療とプログラム開発に取り組んだ」
同センターでの勤務を終え、昨年11月都内に開業。最先端の眼科治療に取り組むとともに、日本障害者スポーツ協会公認の障害者スポーツ医として活動している。
「眼科医として視覚障害者の努力する姿に啓発され、交流も増えた。スポーツを通したノーマライゼーション(障害者が地域で普通の生活を営むための運動)に貢献したい」と話す。
在日を意識したのは小学生のときだ。
「在日に生まれたことにずっと不遇感を感じ、両親は帰化しないのかと考えていた。しかし大人になって、韓国人として生きてきた両親に尊敬の念を感じた。大学卒業時に韓国名を名乗り、その後は韓国名で生活している。病院も本名で開業した。在日は狭間に生きているが、だからこそ両方の文化を知ることができた。今後も在日を自然に受け止めて生きたいし、子どもにも在日の文化を伝えたい」
■アジアユースパラ
アジアユースパラゲームズは、アジアパラリンピック委員会が主催する、アジア地域の14歳から19歳までの若い選手を対象とした障害者スポーツの総合競技大会。2003年に香港で第1回大会が行われ、15か国から480名の選手が参加した。そして今回、東京で第2回大会が行われる。