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2009/06/26

<在日社会>大阪・生野、王仁博士の歌碑を

  • 大阪・生野、王仁博士の歌碑を

    歌碑㊧と境内の建立完成予想図

 古代朝鮮3国のひとつ百済から、論語・千字文などを日本に伝えたとされる王仁(ワニ)博士が、仁徳天皇の即位を春の到来になぞらえて詠んだといわれる「難波津(なにわづ)の歌」の歌碑を、異文化交流・韓日親善のシンボルとして大阪・生野の在日集住地に建立する計画が進められている。

 「難波津(なにわづ)の歌」は、王仁博士が、当地の氏神・御幸森天神宮の御祭神である仁徳天皇の即位を、春の到来になぞらえて詠んだものといわれている。

 在日コリアンの最大集住地、大阪・生野(旧猪飼野地域)にある御幸森天神宮境内に、地域の歴史の象徴、また生野の新名所とするため、和文・ハングル文を併記した「難波津の歌」歌碑の建立を計画する建立委員会が出来たのは今年4月。猪飼野探訪会の姜信英さんが代表、大阪府文化財愛護推進委員会の足代健二郎さんが事務局長となって、在日・日本人有志が集まった。特別顧問を韓日古代史研究の第一人者、上田正昭・京都大学名誉教授、山田昇・大阪市生野区長が務める。

 歌碑の正面右側、和文は、藤原定家筆『古今和歌集』の影印を、左側のハングル書体は兵庫県たつの市の旧家・八瀬家に所蔵(同市立龍野歴史文化資料館に寄託)されている江戸期の掛軸を模刻する予定だ。

 ハングル書体の原本は長さ約38㌢、幅約15㌢の和紙の掛軸に、流麗な筆致で墨書されている。その左端に細字で「対州府朝鮮前伝記官口雲明」の署名があることから、対馬の通訳官を務めた雲明という人物の書であることが分かる。春の訪れと使節の訪日を祝って、この歌を通信使の一行に贈ったとされる。朝鮮通信使の研究家・故辛基秀氏がこの歌を世に紹介してから、一般にも知られるようになった。

 歌碑の建立には200万円かかり、建立委員会では募金運動を始めている。8月15日まで募金期限とし、建立は11月14日を予定している。7月20日午後7時から大阪の生野区民センターで、上田正昭氏の記念講演会が開かれる。詳細は℡06・6717・0006(あじろ書林内)。


◆足代健二郎さんの話◆

 「3年前に猪飼野探訪会が日本人と在日有志で設立され、大阪と韓半島の歴史を学んできた。その中で、日本の文化発展に貢献した王仁博士の歌碑を建立できないかという話が持ち上がった。御幸森神社の快諾も得た。日韓交流の象徴として、また町おこしにも貢献できる碑にしたい」