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2009/01/23

<在日社会>在日新世紀・新たな座標軸を求めて 24                                              ― 「在日コリアンの日本国籍取得権確立協議会」副会長 呉 崙柄さん ―

  • 在日新世紀・新たな座標軸を求めて 24

    オ・ユンビョン 1945年韓国・済州島生まれ。65年来日。東京・荒川で宝石加工の仕事に従事。84年コブクソン子ども会を始める。95年から民族共生教育をめざす東京保護者の会事務局長。2004年コブクソン子ども会の活動を終え、現在「在日コリアンの日本国籍取得権確立協議会」副会長。

 日本に来たのは韓日が国交正常化された65年。「済州島で農業に従事していた。中学2年の時に仲間と4Hクラブ(農村青少年団体)を作り、済州島をユートピアにしたいと考えていた。日本の農業が進んでいることを知り、日本の農場で学びたいと思った。親類を頼って日本に渡ったが、在日で農業をやっている人はいなかった。宝石加工の仕事を学び、独立して三河島に店を出した。3年前に店を閉じた」

 「コブクソン(亀甲船)子ども会」を作ったのは84年9月。長女の日本学校就学を決めるに伴い、「在日」の子どもたちの民族的アイデンティティーの回復をめざし、6畳2間の自宅に地域の在日の子どもたちを集め、祖国の言葉や文化を教え始める。1年後、区立小学校で週1回集まりを持ち、2005年に終えるまで21年間継続した。また日本学校で在日コリアンの子どもたちをはじめ、外国人の子どもたちの民族的アイデンティティーが尊重され、差別のない学校現場を実現するため、外国人に対する教育基本方針の策定を求めて、子ども会の保護者と共に、都、区教育委員会との交渉をすすめてきた。差別を受けないようにと日本名で通わせる親がいるが、闘う事を避けては、道は拓けない。子どもの世界も同じだ。差別のために本名を名乗れない社会は、もう無くなった。民族差別を恐れる親の意識が問題だ」

 民族差別と闘う全国連絡協議会(民闘連)メンバーを中心に、日本人や、「在日」の有識者らと「在日コリアンの日本国籍取得権確立協議会」を発足させたのは2003年10月だ。

 「この間、在日に対する制度的差別は大幅に改善され、残っているのは参政権、公務就任権、無年金の高齢者・障害者などだ。それよりも大きな課題は、民族性を保持した日本国籍取得ではないか。このままでは在日コリアンは消滅する。「在日」がこの現状を放置することは歴史に於ける大きな罪だと思っている。韓国・朝鮮籍イコール民族ではなく、『コリア系日本人』という考え方が、在日にとっても、日本社会の多様性という観点からも望ましい。在日コリアンが民族的出自を明らかにしながら日本社会で名誉ある地位を築くためには、権利としての日本国籍取得に道を開くこと、民族名で日本国籍を取得することが必要だ」

 また、呉さんの妻で在日2世の李福子さんは、2007年1月に帰化申請を行い、2008年に民族名での日本国籍取得を実現した。

 「私の名前の崙は人名漢字にならないため帰化申請で認められないという。できれば『特別永住者等の国籍取得の特例に関する法律(案)』が制定されてから日本国籍を取得したいと考えている。我が家は日本名がない。子どもたちはもう大人なので、時期が来たら日本籍を取得すると思う」

 「『日本国籍取得法案』を成立させるには、幅広い層の日本人から賛同を得なければならない。また在日社会から、日本国籍を取得して選挙に出る人材を育てることも大切だ。この間、何人か立候補したが、残念ながら落選した。著名人で出馬する人がいれば、在日社会にも日本社会にもインパクトを与えると思うのだが」

 同会の活動とともに、呉さんが取り組んでいるのが、日本に戻ってきた脱北者の支援だ。

 「日本が受け入れているのは元在日朝鮮人及び、日本人妻の子孫だ。アパート探しから生活保護の申請など、生活の手助けを行っている。彼らは死線を越えて帰ってきた同胞である。在日社会はこの人たちの存在に、もっと関心を持ってほしい」

 在日の組織の方向性にも疑問を寄せる。

 「民団、総連とも本国との関係を持つことで生き延びようとしてきたが、それが逆に多くの在日の組織離れを生んだ。また商銀、朝銀ともこの間、経営破たんが続いたが、厳しく言えば、一世の遺産を二世は食いつぶしただけではないのか。残った財産を今からでも財団法人にするとか、発展する在日コリアンの未来構築のために残す方法を考えないといけない」

 「『在日』が民族の氏名で日本国籍を取得したとしても、社会的な差別や偏見はなくならないだろう。それを克服するためには、日本国民の一員として少数民族の歴史、文化、民族的アイデンティティーの保護を求める積極的な活動が必要だ。と共に、すでに日本国民となった数十万という同胞のネットワークを構築し、連帯していくことを通して、コリア系日本人の地位を確立して行かなければならない。それは特別な人によるのではなく、普通の生活者一人ひとりの力を合わせることによって可能となる。在日コリアン社会に、その思いを伝えて行きたい」