1970年、万博が開催された関西を舞台に、焼肉屋を営むある在日韓国人家族の姿を通して、韓日の歴史を見つめた韓日合作劇「焼肉ドラゴン」の作・演出(梁正雄との共同演出)。昨年、韓日両国で上演され、大きな話題を呼んだ。韓国では「韓国演劇評論家協会の選ぶ2008年演劇ベスト3」、日本では「第8回朝日舞台芸術賞グランプリ」「紀伊國屋演劇賞」「鶴屋南北戯曲賞」、さらに「読売演劇大賞」と演劇賞を独占した。いま最も旬な劇作家である。
「新国立劇場と芸術の殿堂という韓日の国立劇場で、在日の物語を上演できたことは、とても意義深い。小さな家族のささやかな話を通して、在日の歴史を描きたかった。韓国では日本より在日のことを知らないので心配していたが、とてもストレートな反応で、息子が屋根から落ちるシーンでは、会場から悲鳴があがるほどだった」
1948年、南北単独選挙に反対した済州島4・3蜂起で島民が虐殺された事件で自らの一族も殺された店主、帰国事業で北朝鮮に渡ることを選ぶ娘など、泣き笑いの中に、歴史に翻弄され、生き別れていく家族の姿を描き出した。韓国人俳優の圧倒的な熱演も感動を呼んだ。
「韓国人俳優は情熱があり、日本人俳優よりも豊かな表現力がある。韓国は演劇学校を出ている役者が多いので、ベースがしっかりしているので演技の意味を汲み取ってくれる」
演出はしつこい。現場で納得するまでけいこを重ね、役者と話し合う。
「舞台上の役者たちをいかに愛し、いかに共同作業を進めるかが大切で、そこに主眼を置いている。けいこは厳しくとも楽しくやっている。そうでないといい芝居にならないからだ」
在日が日本で生き抜くため、子どもには資格を取らせる親が多い。鄭さんの兄弟も医者や薬剤師になったが、鄭さんは映画の道を志し、横浜放送映画専門学校に進んだが、黒テントの「赤い教室」に誘われたことがきっかけで、演劇の道に進む。94年に「ザ・寺山」で岸田國士戯曲賞を受賞。その後、「愛を乞うひと」「月はどっちに出ている」「血と骨」など話題作の脚本を相次いで担当した。この数年は、戦争、歴史をテーマにした作品作りに力を入れている。
「2年前に『カラフト伯父さん』という芝居の脚本を書いたが、そこで歴史の重みを知った。歴史的事実と演劇を融合させ、歴史の記録として演劇を残したいと考えた。失われていく庶民の生活を戯曲に描くことで、歴史認識を深めるきっかけになればと考えた。いまこんにゃく座の新作オペラ『ネズミの涙』(12~15日/世田谷パブリックシアター/℡044・930・1720)の作・演出を行っているが、これも戦争がテーマだ。音楽も韓国伝統音楽のサムルノリが出てくるなど、西洋音楽と東洋音楽を組み合わせている。常に新しいものを見つけ、作品に生かすのが劇作家の仕事だ」
韓国からの仕事も増え、中央大学校で上半期は演劇の監修、後期は生徒とOBを指導して作品を仕上げる。来年は書き下ろし作品の上演も決まっている。
「両国の文化のおいしいところを楽しみたいし、韓日演劇交流も深めることが出来ればおもしろいと思っている」
劇団を旗揚げする在日の若者が、いま増えている。
「在日社会も5、6世まで出てくる時代になった。在日のコミュニティーは変貌しつつあり、意識も多様化している。それぞれがそれぞれの目標を大切にして生きていけばいい。演劇の世界も、自分の目と耳で発見をすることが大切だ。日本の演劇界は内に閉じこもりがちだが、世界の演劇界は直裁的で情熱的だ。演劇を志す青年たちも、グローバルな視点を大切にしてほしい。在日社会というものは無くなって行くかもしれないが、各自が好きな道を歩んでいけば、そこから新しいものが生まれてくると思う」