在日新世代から「金の卵」が誕生した。京都生まれの在日3世のバイオリニスト、マリ・リー(李麻里)さんがその人。08年ロン・ティボー国際コンクールで最年少セミファイナリストに選ばれたのに次いで、昨夏はバーデンバーデンのカールフレッシュ・コンクールで優勝し、一躍注目を浴びている。現在、米ボストンのニューイングランド音楽院の奨学生として研鑽している将来が嘱望されるバイリニストだ。「音楽での発信は社会的発言と同じだと思う。どんなメッセージを伝えることができるのか研鑽し、社会に貢献できる音楽家になりたい」と、めざす音楽世界を語ってくれた。
マリ・リーさんは、クラシック好きな母の影響で小さい頃からバイオリンが好きだった。最初は絶対音感をつけた方がいいと叔母からいわれピアノから始めたが、7歳の時にバイオリンを買ってもらったのをきっかけにピアノを辞め、バイオリニストになりたいという夢を抱くようになった。小学4年の時に全日本学生コンクール名古屋大会で優勝、翌年に11歳で英国ロンドン郊外サリー市のユーディ・メニューイン音楽学校に入学した。
「狭き門だったが、受かった。演奏技術より才能、可能性をみてくれたようだ。年間100人以上受け、5人から7人しか入れない。この学校にはさまざまな民族、国の人がいて、母はアイリッシュで、父はハンガリー系とか、ロシア語しか話せないのにアゼルバイジャン人とかいろんな文化が交じり合っていた。私は学校ではコリアンジャパニーズ(日本で生まれた韓国人)と呼ばれていたが、音楽には言葉とか国境のバリアがない。バックグランドは違うが音楽で結びつき音楽でコミュニケーションすることが実感できた。人と人をつなげるのも音楽だ」
現在は米ボストンのニューイングランド音楽院で学んでいるが、ここで「在日」を強く意識する。
「それまで国籍とかルーツとか考えたことなかったが、米国にきて考えるようになった。この学校の生徒は韓国、中国、台湾系が多く、30%以上はアジア人だと思う。友人の輪ができ、自分はコリアンだが、本国からきた韓国人の自意識の強さが全く理解できず、その輪の中に入ることができない。それで自分は一体何人なのかと在日を考えるようになった」
マリ・リーさんは、芸術至上主義とは全く対極の考え方で時代や社会を観察。そこにめざす音楽(家)像も描かれている。
「完璧な演奏を求められるが、それが本当に芸術なのかというのがある。芸術家として本当に表現したいことを演奏するのがいいと先生にもいわれた。例えば、『演奏プログラムを決める時はあなたを映し出さなければならない。あなたの人間性は曲の選曲で分かる。何を伝えたい、何を表現したいか審査員はみる』と。これが考えるきっかけとなり、伝えるものがないとだめだと自覚するようになった。いまは音楽を通して自分は何者かをテーマにしている」
「有名なロシアのバイオリニスト、ギドン・クレーメルは、『今の芸術家はメッセージを伝える人が少ないが、それがないと意味がない。音楽での発言は社会的発言と同じであり、音楽は社会にも影響を及ぼす力があるので、それを意識しなければならない』と言っているが、私も同感だ。芸術は社会に影響力があり、人間の感情を動かす力がある。社会に貢献できればいいと思っている」
「最近は近代音楽にも挑戦するようになり、バルトークやストラビンスキーの曲を勉強している。第一次世界大戦後に作曲されたものを弾いているが、やはり戦争によって破壊された彼らの時代への悲劇的な視点や亡命して生きる苦悩などが音楽にも反映している。シューベルトのように、馬車が走っている時代に小鳥のさえずりや自然の音などをインスピレーションにしていた作曲家とは音楽へのアプローチの仕方が全く違う」
マリ・リーさんは、名器を使えるコンクールで優勝して1771年制作のガルネリを弾いているが、世界で5人しかいない無鑑定バイオリン製作者の陳昌鉉氏制作のバイオリンも使っている。
「陳さんのはすごく高音がきれいで音量もありよく響く。モダンバイオリンとしては音色が特出していている」
彼女の好きな演奏家は、オイストラフ、メニューイン、クレーメル。
「彼らは音楽を通して多くの人を影響し、感動をもたらした。メニューインは、戦争の最中に病院を回ってコンサートを開き人々の心を癒し、多くの音楽家を助けた。戦後は47年にユダヤ人として初めてドイツの音楽をドイツで演奏した。彼らはみな音楽はボーダレスと強く信じていた。私もそれを信じて彼らのように音楽の素晴らしさを世界中に広めたい」