1945年8月の祖国解放から65年目を迎えた。在日社会は世代交代が進み、これまでの在日1世から2、3世中心になった。4、5世も登場し、世代交代にどう対応すればいいのかが課題となっている。一方、韓日交流は急速に進み、韓日の若い世代は相手国の文化に強い関心を持っている。韓半島の統一問題も焦眉の課題だ。このような時代状況の中で、在日はどう生きていけばいいのか、「在日社会の未来を考える」をテーマに、4人の在日コリアンに語り合ってもらった。(司会=本紙編集局長・金時文)
◆ 出 席 者 ◆
大学教授
柳 赫 秀 さん
音 楽 家
黄 純 和 さん
女 優
洪 明 花 さん
弁 護 士
金 竜 介 さん
司会 在日社会は世代交代が進み、あと10年ぐらいすると新しい在日社会が形成される可能性がある。在日はどうなり、どういう在日社会を形成すればいいのか、自由に語り合ってもらいたい。まず自己紹介をお願いしたい。
柳 僭越ながらこれからの議論に役立つと思い、現在の在日社会の構成について申し上げる。ニューカマーは80年代から増え、98年から急増している。ニューカマー永住者が5万3000人、全体で17万人、その子どもの若い在日2世も出ている。在日が42万人弱、帰化者が約30万人、不法滞在2万人強、二重国籍者など入れるとコリアン系は100万人は下らない。
黄 在日3世の声楽家です。幼い頃から、コリアンとしてのアイデンティティーをしっかり持って生きるようにという教育を受けた。またピアノを学び、子供心に将来は音楽家になりたいと思っていた。
朝鮮学校に3年間通った後、日本の音楽大学を目指すならと日本の学校に転校した。黄純和という本名で日本の学校に通ったが、子どもながらにカルチャーショックがあった。もっとも驚いたのは、日本の子どもが自分の意見を言わずに、人に合わせることだった。日本はストレートに意見を言うと歓迎されない社会なんだなと、子供ながら知った。
一方で、日本の学校に通っても韓国語はしっかりできるよう、また、私たちは外国人だから日本人と同じレベルを目指すのではなく、その上にいかないと認めてはもらえないから、人一倍努力するよう両親に教えられて育った。
コリアンの血をもって生まれた者は日本人にはなれないし、日本という土壌に生まれたのも運命。起こった問題は、その都度解決していくしかないと思う。これまで日本人になりたいと思ったことは一度もなく、これからも変わらないと思う。
金 亡くなった私の父のマルセ太郎は、50歳過ぎても年収200万円もない芸人で、母がスナックを営んで家計を支えていた。芸人というのは貧乏なんだと思いながら育った。高校まで「金原」という通名で通っていたが、84年に大学に入学したのを機に本名の「金」を名乗るようになった。しかし、この年の7月に家族で帰化し、「金原」が本名(戸籍名)となった。帰化には反対だったので父と口論したが、家族そろわないと帰化申請に差し障ると説得され、結局、帰化することになった。今では帰化について父に対するわだかまりの気持ちはない。
弁護士を目指したのは、えん罪で死刑判決を受けた免田事件などの再審事件を高校生の時に知って、自分もそういう人たちの役に立ちたいと考えたのがきっかけだ。
弁護士になってからは、在日コリアンに限らず、日本在住の外国人の人権問題に関わっている。2002年に在日コリアン弁護士協会ができて、参加するようになった。
帰化してからも戸籍名の金原は名乗らず、通名の「金」で生活していたが、3年前に結婚したのを契機に家庭裁判所で氏の変更をして、「金」を戸籍名にした。だから私の妻子とも「金」である。
洪 大阪生まれ大阪育ちの在日3世です。民族学校の金剛小学校に通い、中学から日本の学校に通った。本名で日本の学校に通い、活発な性格だったので、中学、高校と生徒会長もやった。韓国舞踊をずっと習っており、両国に関心を持てるという意味で、むしろ在日に生まれた事をラッキーに受け止めていて、ネガティブに考えたことはなかった。
高校では演劇部に所属し、音楽も勉強して、大阪芸術大音楽学科に入学した。大学を卒業してから、司会業に携わり、また神戸で外国人向けラジオ番組のパーソナリティを担当するなどした。24歳のときに韓国留学して韓国語を学び、日本に戻ってからはバイリンガル司会や、韓国語の翻訳・通訳も行うようになった。30歳を過ぎてから、芝居を再び始めたが、ある演出家に日本人と動きが違うと言われ、その時初めて、韓国舞踊の身体性が身についていたことに気づいた。韓国人の身体には、3拍子が流れているのではないだろうか。昨年、日韓演劇フェスティバルで通訳と司会を担当したことがきっかけで、韓国演劇界に関心を持つようになった。好きな演劇を通して韓日交流に関わっていきたいとの思いから、積極的に韓国の戯曲の翻訳も行っている。
柳 80年に日本に留学した。当時、米国に留学するには初期費用がかなり必要だったし、欧米留学が主流の中、日本留学の希少性を考えながら、文部省の奨学金をもらえたので、それを頼りに日本に来た。
88年に東大大学院の博士課程を修了し、国立大学で外国人をあまり採用しない時節、横浜国立大学に運良く国際法担当教員として採用された。当初は任期3年・延長なしという不利な条件での採用だったが、3年後、事実上任期なしの待遇で同大学院国際経済法学研究科へ移動した。
97年4月から、文部省の方針変更に伴い、そもそも任期をつけないケースの学内第1号となって現在に至っている。就職当初はしばらく経験してから韓国に帰るつもりだったが、韓国の大学からその時はオファーが無く、横浜国大での勤務に不満もなかったので、そのまま横浜国大に残った。98年に経済法学研究科の教授になった。
その後、2000年永住権の取得を前後して韓国の大学からオファーが来たが、迷った末に日本定住を決意し、今日に至った。
日本定住を決意してから、知識人の一人として、社会のために何かしたいと、3年前に「在日韓国人研究者フォーラム」を立ち上げ、日本の大学や研究所に在籍している数百人に上るニューカマーのコリアンの学者・研究者らをまとめる団体に育て上げることができないか考えている。
現在、在日社会はいわゆる在日とニューカマーの統合という課題をもっている。還暦を過ぎて金属疲労状態の民団・総連と、いまだ幼稚なニューカマー団体をいかに統合し、同胞社会をまとめていくかである。在日の人たちと一緒に、よりよい社会を作っていきたい。
司会 在日社会といっても、いまは密集地も少なく、1世も減って、在日社会自体が漠然としている。民団、総連という在日組織の力も弱くなった。在日3、4世にとって在日社会を意識することはあるだろうか。また、昔は大企業に就職などは出来ず、中小企業に勤めるか自分で商売をするしかなかった。いまは大企業や大手マスコミで働く青年も出てきている。こういう社会変化の中で、在日をどう見ていけばいいのだろうか。
黄 まず在日団体についてだが、あまりにも無意味な対立を長年続けすぎているように思えてならない。みんな言葉では統一というが、背を向け合っているのが実情ではないか。民間レベルでは団体云々に関わらず交流は多いようだが 。
以前ある運営協議会から日本とコリアの文化交流事業をやるからと実行委員に招請された。
韓国・朝鮮を一つのコリアとして行ったイベントには、朝鮮学校・韓国学校をはじめ、多方面のコリアンから賛同いただき、かなり大がかりな文化事業となった。これを機にこれまで交流のなかったコリアン同士もみんな仲良くなれればと思ったのに、ある在日団体の幹部から、方針の違う人とは一緒に出来ないと言われ、本当に驚いた。在日内部でも一つになれないのに、どうして統一ができるのだろうか。不毛な対立をやめ、在日のための組織に脱皮してほしい。
司会 民団、総連とも長い対立の歴史があった。以前は交流の動きもあったが、いまはまた停滞しているのが残念だ。
ただ、個々のレベルで見ると、例えばサッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会で、南北両チームを応援した在日は多い。また韓国国内でも北代表チームを応援する人は多かったし、韓国籍で北朝鮮代表になった在日3世の鄭大世を、韓国のマスコミは大きく取り上げていた。総体的に変化していることは事実だ。
柳 韓国では北との交流事業がこの10年間に大きく進んだ。昔と比べると信じられないほどの動きで、太陽政策は大きかった。いまは南北関係が難しい局面にあるが、いつか打開できるだろう。
在日の組織についてだが、これまでの若干の経験から申し上げると、自分たちと異なる意見を受け入れないように見える。いまだにタブーや偏見が払拭されていない。そして2世は1世に、3世以下は1、2世に物怖じしている。目上を立てることと言うべきことを言わ(え)ないことは、別である。若手がきちんと発言できる組織にならないと、将来の可能性はないのではないか。
洪 子どもの頃から、大人達はなぜ、自慢話を繰り返したり、身内同士ですぐケンカするのか不思議に思っていた。ある時、あるおじいさんから、「韓半島は5000年の歴史の中で、700回以上の侵略や内乱を経験している。明日どうなるかわからないから、今ある名誉は、いま誇示しないといけない。また有利な方につかないといけない。そういう刹那的な生き方を強いられた」と諭された。
韓国に行くと、確かに自慢もするが、逆に相手の自慢話もよく聞くし、よく褒める。それを見て、やはり在日はアウエーで、だからこそ生き抜くための知恵が、そうさせたと実感し、その生命力を感じるようになった。日本の人は在日や韓半島のことをまだよく知らないが、在日も韓半島や日本のことをよく知らない、韓半島の人々も日本や在日のことをよく知らない。お互いに知り合い、偏見を無くしていくことが、第一歩だと思う。
金 学生時代には在日の団体から誘われたし、在日としてどう生きるべきかというようなことをよく考えたりしたけれど、今では、「在日コリアンはどうあるべき」というのは、もうやめた方がいいと思っている。あたりまえだけれど、「在日にはいろんな人がいる」でいいと思うし、その生き方も自分で決めればいいことだから。
外国籍で地方参政権を要求する運動も、日本国籍取得論も、個人の自由でできるようになることが大切だ。自分の論に相反する論を全否定する人がいるが、私は、そのような態度は批判したい。
ただ、今の日本社会は、在日が自由に生きられるようになってはいない。本名を名乗るか、日本名を名乗るかも自分で決めればいいことだが、本名で生活したいと思っても、それができない社会は変えないといけない。自分が何者であるかを言うことができない社会はおかしい。
司会 次に韓日交流について話してみたい。ドラマ「冬のソナタ」が日本で大ヒットして、「韓流」と呼ばれる韓国ブームがやってきた。一方、韓国では「日流」と呼ばれる日本ブームが到来している。韓国と日本が本当に「近くて近い国」になる時代がやってきたといえる。韓日交流の進展、その中での在日の役割をどう見るか。
洪 韓国、日本、在日とトライアングル状態だ。そこに北朝鮮を入れると四角形になるが、それぞれがどこまで理解し合えているか疑問だ。これからは交流の質が問われる時代になると思う。
韓国の演劇は、レベルがとても高くなっている。分野によっては日本を追い抜いたとさえ言える。その実態を知りたいと思い、今年前半、韓国で数カ月間生活し、演劇の勉強をした。少しではあるが、劇団「ミチュ」でレッスンを受け、小劇場が林立するソウルの大学路で30本余りの演劇を見た。例えば光州事件をテーマにした作品もあったが、大勢の光州市民が殺された悲劇を、コミカルに、悲喜劇の形にしていてとても迫力があった。これこそが韓国民族のエネルギーだと感じた。大学路のように160近くもの小劇場が密集し、多くの市民が観に来るのは世界的にも例がないと思う。
演劇への助成金システムも、欧州などを参考にして整備されてきている。バレエやオペラ、クラシックなどに対しても助成金を整えている。とても良いことだし、韓日交流が深まれば、芸術分野でお互い刺激し合い、お互いが更に発展できると思う。
柳 民主化以後のこの20年ではじけたというか、とても多くの斬新な発想が出てきている。国全体の水準はまだ日本が上だと思うが、部分的に日本を抜くのが出ている。電子産業におけるサムスン、LG、鉄鋼のポスコ、車の現代などがそうであるが、文化の面においても、洪さんのご指摘のように、映画・演劇部門の発展には目を見張るものがある。大学に勤めている者として、韓国のダイナミズムにも驚くばかりである。
最近、普通の日本市民の韓国を見る目が変わってきたことは、この30年間日本で暮らし、本当に実感するとともに、その変化をいかに根付かせるか考えるべきである。というのも、草の根レベルでの交流は本当に深化したが、一方で両国の学生へのアンケート調査などを見ると、韓国の学生は51・6%が歴史の清算が大切と言う。日本の学生は59・5%が交流拡大をあげている。日本の謝罪についても韓国側は97%が不十分で、日本側は55%が十分に謝罪したと回答している。歴史認識の違いを少なくしていくことが、今後大切ではないだろうか。
黄 ここ数年コンサート出演を依頼される際、よく「冬のソナタ」や他のコリアン・ソングを入れたプログラムをリクエストされる。それほど韓流への関心は高く、自分が貢献できることがあるのは喜ばしい。ただせっかく良い関係になっても、歴史問題などで停滞する危険性があるのは残念だ。洪さんや柳さんが言う通り、次の段階に進むことが大切だ。
金 日本の幅広い層が韓国語を習い、韓国に関心を持つようになったことはいいことだろう。しかし、その人たちが、例えば、在日の子どもたちが民族教育の機会を奪われてきた歴史について、どれだけ関心を持つようになっただろうか。「冬ソナ」以降、在日の置かれた境遇に関心を持つ日本人が増えたとは思えない。「韓流」によって在日に何かいいことがあったかといえば、私は消極的だ。
黄 私は韓国から来た声楽家と間違われることが多い。流暢な日本語を話すことに驚かれ、「日本語お上手ですね」とどれだけ言われてきたことか。歴史教育がきちんとなされていれば、日本になぜ在日が存在するのか理解できるはずだし、流暢な日本語を話すのはほとんどが在日だということも分かるはずだ。
洪 私も韓国から来た女優とよく間違われる(笑)。いまは韓流が楽しいという段階で、それはとても素敵な事だと思うが、これからはもう一段階ステップアップして、韓日の歴史や在日について知る機会が来ると思うし、期待したい。
金 94年に弁護士になった当時、韓国はまだ人権分野で遅れていると思った。しかし、今では、被疑者取調べに弁護士の立会いができることなど刑事分野や国際人権の分野では、日本より進んでいる点が多々あるとも感じている。
今年の8月に、在日コリアン弁護士協会で出版した「裁判の中の在日コリアン」の韓国語版が出版される。この出版は、在日コリアンの歴史と現状を韓国人に知ってもらい、韓日交流にも貢献できると思っている。
司会 昔は組織の力があったが、いまは組織の力が落ち、求心力が無くなってきている。逆に、例えばソフトバンクの孫正義氏のように、組織と関係なく力のある人もいる。いまは個人の力で社会を切り開ける時代になってきた。そういう人が増えれば、在日も日本も変わっていくだろうか。
黄 在日は個々が祖国のこと、ルーツのことを知らないといけないと思う。在日として可能性を広げるにはアイデンティティーを自覚することがやはり大切だと思う。
柳 黄さんが述べた通り、在日が自らのことを知っているのは大切だ。在日としてのルーツが知られた上で活躍する個人は確かに出てきたが、全体的には、在日は依然として見えない存在だと思う。在日の場合、理解はできるが、通名を使ってきたことが大きかったのではないか。帰化者に至っては、約30万人と推定される人たちの大部分がルーツを明らかにせず、隠れて、埋もれて生きている。在日が見えない存在であることは、異質の者たちとの共存の経験の少ない日本社会にとって、不健全で、不幸なことだ。
どうすれば在日が見える存在になり、韓国と日本の媒介になれるか、日本人も交えて考えていくべきである。
黄 在日であることを堂々と出して生きられる社会になるには、もう少し時間がかかると思う。日本社会がもっと個を大切にする社会になってほしいと、つくづく思う。
金 東京の下町で弁護士事務所を開いていると、多くの在日が通名で生活していることを実感する。そのことを日本人は知らず、「最近はみんな本名で働いているんでしょ」というが、とんでもない。台東区でも、日本名で生活している人がほとんどだ。在日は見た目では日本人と区別がつかない、だから、隠せば生きていける。そんな状態が半世紀以上続いてしまった。
柳 日本社会に確かに問題はあるが、在日が通名を使いすぎた歴史もある。米国のネラ・ラーセンの有名な小説Passing(『白い黒人』と訳された)は黒人のルーツを隠しながら生きる悲しみを描いたものであるが、在日もそろそろ負の連鎖を断ち切るよう勇気を絞り、本名を名乗るべきである。そのためには日本社会、在日社会、どちらも変えていかないといけない。
洪 確かに私と同年代でも、本名を名乗ることにいまだに悩んでいる人たちがいる。しかし、その人の生い立ちとかアイデンティティーを考えると、本名を強制することもできない。
通名と本名の問題がいまだに続いていることは、本当に不幸だ。在日に生まれたことをポジティブに考えられる社会にすることが大切だ。
金 私の妻は日本人だが、結婚して「金」の姓になった。銀行や病院で、初めて「順番をお待ちの金様」と呼ばれたとき、とても緊張したという。今年生まれた娘もいつか「金様」と呼ばれる時が来るけれど、そのことで緊張するような社会のままであって欲しくはない。
司会 最後に在日社会をどう変えていくか、例えば韓半島で統一問題が起きる可能性もある。その時に在日はどう対処するかという問題もある。在日とニューカマーの統合という問題もある。みなさんの意見を聞きたい。
洪 97年に初めて、北朝鮮に住む親類に30年ぶりの母と一緒に会いに行ったが、手紙でしかやり取りのなかった親戚に実際に会ってみると、やはり心の底から統一してほしいと思った。
しかし、その一方で、経済的にも全てを受け入れられるのかという恐怖心もある。南北とも、まだまだ在日のことを知らないと思う。また在日である私自身も、在日の現状を全て分かっている訳ではない。もっと勉強しなければならないと思う。
在日の立場で力を合わせ、より良い方策を模索できればと思う。私は演劇をやっているので、やはり演劇を通して私自身が生き生きと輝くことが、皆さんの励みになり、在日の存在を示すことが出来るのではないかと思う。
黄 在日の団体は必要だと思う。組織力が弱いと、社会への影響力は低い。世界中にコリアンはいるが、在日やニューカマーは基本的に日本に永住するつもりの人が多いと思う。政治や思想、信条、国籍(ステイタス)などにまったく捉われない団体が必要とされると思う。また力のある団体を形成するには、一人一人がそれぞれの分野で能力を高めて、日本社会に影響を与えられるような存在になることが大切だと思う。
金 日本に暮らす外国人が200万人の時代になった。在日コリアンに限らず、外国人全体の人権をどう考えるかが大切だ。例えば日本社会に暮らすフィリピン人の母親などは、在日コリアンの1、2世の母親たちが受けたのと同じような差別を受け、苦労をしている。自分の子どもから、「フィリピン人とわかってしまうから、授業参観に来てほしくない」と言われた母親がいる。そう言われた母親、そう言わざるを得ない子どもの気持ちがわかるのは、日本人よりも在日コリアンだと思う。日本に住むすべての外国人の人権をどう考え、そして行動するか。それを在日コリアンに求めたい。
また、在日コリアンの人権は、基本的に日本国内の問題のはずなのに、朝鮮半島との関係に翻弄され続けてきた。それも本来おかしいことだ。日韓関係・日朝関係がどうだろうが、本国がどのような国家であろうが、日本人がその気になれば、在日コリアンが尊厳をもって生きられる社会を今すぐにでも作ることができるはずだ。そのことを日本人への課題としたい。
柳 確かに本来は日本国内の問題として外国人の人権が考えられなければならないが、韓日の歴史上、本国政府の果たす役割はまだある。また世界がグローバル化し、国際人権が大切な時代でもある。
在日が日本社会で見える存在になるためには、例えば日本国籍取得問題を論議し、国会議員などに在日がもっと進出することを考えるのも必要になるだろう。民団の公式の立場は、韓国籍を保持して地方参政権のみを得ることのようだが、日本の国政参政権についてもっと論議をする必要があるのではないか。要するに、地方参政権獲得と日本国籍取得の問題を二者択一的に考えるべきでない。問題はいかに日本社会と正面から向き合い、見える存在として、我々の権益を主張し、貫徹していくかである。
私が共同主宰して、7月に大阪で「第3回日韓社会文化シンポジウム」を開催し、「在日本韓国朝鮮人社会の現状と課題」と題する報告を行った。
そこで在日社会の課題を帰属、団結、共生の3つに分けた。①いまだ文壇祖国の歴史的・社会的矛盾を背負いながらも、日本社会の一員としての定住化が進行する中で、いかに独自のアイデンティティーを保持し、どこに帰属先を求めるべきか②構成員が多様化・複雑化する中、「在日」とニューカマー、および帰化者をひっくるめて団結を図り、それを束ねる在日の団体をいかに作り上げるか、③日本社会といかに向き合うか、すなわち我々在日とともに生きることが日本(人)にとっても良いことであることを伝え、日本(人)の単一民族意識をいかに変えていくか、の3つである。
韓国も日本も、多民族共生への認識は低い。在日社会が両者を変えていけるよう努力することが大切だ。