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2011/02/04

<在日社会>在日4世 李忠成(リ・タダナリ)、「韓国・日本とも私の祖国」

  • 在日4世 李忠成(リ・タダナリ)、「韓国・日本とも私の祖国」

            アジア杯でゴールを決めた李忠成

 サッカーのアジアカップ決勝戦で、日本代表として決勝ゴールを決めた在日韓国人4世の李忠成(サンフレッチェ広島)が、韓日で大きな話題となっている。出自を明らかにして日本国籍を取得した李忠成の存在は、韓日社会に何を問いかけているのだろうか。

 李忠成は1985年東京生まれの在日4世。小学校は朝鮮学校だったが、地元クラブでサッカーを続けるため、日本の中学に進んだ。民族意識の強い家庭で育ったため、ずっと本名で生活している。FC東京、柏レイソルを経て現在はサンフレッチェ広島に所属。

 韓国ユース代表に召集されたこともあるが、言葉の壁などがあり、選出されることはなかった。

 2006年に反町康治五輪代表監督(当時)に日本代表入りを打診され、日本国籍取得を決意、07年2月に日本国籍を取得して日本代表入りを果たした。国籍取得時も本名にこだわった。

 「民族への思いは子供の頃から意識していたので、本名を大切にしたかった。李の名前を背負い、常に一番を目指した」と話している。

 北京五輪代表に選ばれたが、活躍の機会は無く、今大会でも出番は少なかったが、最後に大仕事を決めた。日本で差別、韓国でも差別…、それを乗り越え、本名で日本国籍を取得し、新たな歩みを始めた。

 韓国では、李忠成が「日本で生まれて日本代表入りは夢だった。韓国・日本とも自分の祖国」と発言していることについて、在日3世の北代表、鄭大世(チョン・デセ)、安英学(アン・ヨンハク)、韓国代表経験がある朴康造(パク・カンジョ)も例に出して、「韓国、日本そして北朝鮮の3カ国の狭間を生きる在日の姿と、在日の若者の意識変化、多様性」を示したとしている。

 また、過去に多くの在日スポーツ選手、芸能人が出自を隠さざるを得なかった歴史にも触れ、「日本社会、在日社会は変化している。これからは国籍ではなく民族を基準とした同胞政策が必要だ」との識者の意見を紹介。さらに、李忠成が「サッカーを通して韓日の懸け橋になりたい」と語ったことに触れ、「在日の若者が韓日の懸け橋になれるよう、韓国語教育などの支援が必要」との意見も紹介している。

 日本では決勝ゴールの話が中心だが、李の生い立ちに触れることで、在日の存在を日本社会に伝える役割を果たした。

 「昨年の南アフリカW杯で鄭大世が流した涙と今回の李忠成のゴール、どちらも在日の歴史が込められたシーンだ。彼らの生き様が在日社会に勇気を与えると同時に、韓日が在日を理解する一助になれば」と、ある在日識者は話す。