5月に82歳で亡くなった世界なバイオリン製作者、在日韓国人1世の陳昌鉉さんの顕彰碑の除幕式と追悼式典が、長野県木曽町で行われた。この町は陳さんが若い頃、4年間独学でバイオリン製作に打ち込んだゆかりの地。陳さんの家族や友人、申珏秀・駐日韓国大使、田中勝已町長、町民ら150人が参加し、故人を偲んだ。
顕彰碑は、木曽川沿いの町一番の通り道にある親水公園に町が設置。折からの雨が除幕式直前に上がり、「陳さんの神通力だ」との声もあがった。御嶽黒光真石の碑には「懐かしきかな木曽福島 我が青春の夢のあと 朝な夕なに 仰ぎし木曽駒 」と陳さん作の詩を刻んでいる。また、そこから徒歩10分の所にある「陳昌鉉ヴァイオリン研究所」跡地には、陳さんの顔を刻み込んだブロンズ製レリーフを設置した。木曽町関係者は「偉大な名匠の碑やレリーフで町興しになればいい」と期待した。ちなみに陳さんは05年に名誉町民章を授与されている。
追悼式典で田中知事は「50年余り前に木曽側の砂利取りで陳さんを見かけたと思う」と振り返り、「苦難の中、独自に研究して世界に打って出た、その行為は次代の若者のかがみになる。顕彰碑を町の誇りとしたい」と強調した。
申大使は「陳先生と木曽町民との大切な絆が、韓日間の強くて深い友情に発展することを望む」と述べた。また友人代表の河正雄さんは「在日ゆえの独自の研ぎ澄まされた感性」を力説した。
陳さんと50年来の交流がある在日2世のバイオリニスト、丁讃宇さんが、韓国歌謡「鳳仙花」と日本童謡「ふるさと」を陳さん製作のバイオリンで演奏。陳さんの家族は遺言に基づき、2本のバイオリンを町に寄贈した。最後に妻の李南伊さんは「小さな丸太小屋から出発、まるでロビンソンクルーソーのような生活をした」と思い起こし、「バイオリン製作に込められた情熱の音は、千の風となり世界中に鳴り響くでしょう」と感謝の言葉を述べた。
陳さんは14歳で渡日し、明治大学卒業後の57年から弦楽器の生産地として知られる木曽に移り住む。木曽川支流の矢沢川べりに掘っ立て小屋を建て、昼は砂利取りや土木作業員として働き、夜はバイオリンづくりに熱中した。生涯の伴侶となる李南伊さんと結婚生活も始めるなどこの地が大事な出発点だった。
その後、東京に転居、バイオリンに関する本で手に入るものはすべて読み、木材やニスについても研究を続けた。84年、米バイオリン製作者協会から世界で5人しかいない無鑑査製作の「マスターメーカー」称号を授与されるなど「東洋のストラディバリ」と称された。