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2012/10/19

<在日社会>孫基禎(ソン・ギジョン)・朴烈(パク・ヨル)、2つの記念館誕生

  • 孫基禎・朴烈、2つの記念館誕生①

    孫基禎記念館の説明をする李記念財団事務総長

  • 孫基禎・朴烈、2つの記念館誕生②

    朴烈義士記念館の開館記念式典には多数の関係者が出席した

 韓国現代史を伝える二つの記念館がソウルに誕生し、「歴史を知る一助になる」とソウル市民から好評を博している。

 日本による植民地支配時代の1936年、ベルリン五輪に出場してマラソンで優勝し、韓民族の誇りを示した「マラソンの英雄」孫基禎(1912~2002年)の足跡を伝える記念館が、孫基禎生誕100周年を迎えた14日、ソウル中区万里洞の孫基禎体育公園内に開館した。

 1915平方㍍の敷地に地上3階建てで建設され、孫基禎さんの写真パネル、関係資料などが展示された。

 孫さんの外孫になる李ジュンスン記念財団事務総長は、「祖父の孫基禎は最初、植民地時代に空腹をまぎらわすために走り始めた。祖父を五輪代表選抜するにはさまざまな妨害があったが、それを克服して五輪に出場し金メダルを獲得した。その祖父の激動の人生を、小学生にも分かりやすく見てもらえるよう展示を構成した」と話した。

 一方、植民地時代の独立運動家・朴烈の足跡を紹介する「朴烈義士記念館」は、生誕110周年を記念して、故郷の慶尚北道聞慶市麻城面梧泉里に、同市と社団法人「朴烈義士記念事業会」(理事長=朴仁遠・元同市長)が共同で、同市に建設された。

 聞慶で生まれた朴烈は、17歳だった1919年に日本に渡り、早稲田大学や明治大学に通いながら、祖国独立を目指す運動を繰り広げた。しかし、1923年に発生した関東大震災のさなかに逮捕され服役した。

祖国解放後、在日韓国民団の団長などを務め、49年に帰国。祖国で民族運動を行ったが、韓国戦争時に北朝鮮軍に拉致された。その後、74年に北で死亡した。

 朴烈は日本女性の金子文子さんと結婚しており、彼女も同時に逮捕された。金子文子さんは後に獄中で自殺した。

 記念館は、朴烈とその妻・金子文子の自由を求めた精神をたたえるため、朴烈の生家周辺の1万4421平方㍍の土地に建てられた。地上2階建てで、延べ面積は1600平方㍍。

 開館記念式典には在日韓国人有志や、「金子文子研究会」の会員、地元住民など約900人が出席した。