解放後から1962年まで兵庫県宝塚市にあった「宝塚韓国小学校」の資料を整理・研究し、また同校の卒業生や関係者の聞き取りなどを行って、貴重な民族教育の記録を残す作業が、有志によって進められている。30日には同窓会が宝塚韓国学園で開かれる。
宝塚韓国小学校は、韓国民団系の民族学校として、当時、良元村伊孑志(りょうげんむらいそし)と呼ばれた地にあった。武庫川の西岸にあり、古代は渡来人が多く住んでいたともいわれる。
大正時代から昭和の初めにかけて、武庫川の改修工事が行われ、多くの韓国人が従事した。第4番目の工事現場であったことから、通称「よんこば(四工場)」と呼ばれ、多くの韓国人労働者がその後も住み、集落を作った。
解放後、各地に民族の言葉を学ぶ「国語講習所」が作られた。同校は1946年4月、「朝連宝塚支部朝鮮学院」として開校し、48年5月に宝塚韓国小学校と改称。59年には人権活動家として有名な故崔昌華牧師が校長代理人として赴任した。
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