江原道平昌で行われた知的障害者が参加する国際的スポーツの祭典「スペシャルオリンピックス」会場では、知的障害者自らが出演した文化公演も数多く開かれた。在日でも知的障害者の社会参加に関心を持つ人が増えている。
在日2世の金聖雄監督は、知的障害者がミュージカルに出演して社会参加を深めていく姿を描いたドキュメンタリー映画を監督している。
金監督は、「ミュージカルに出演することを生きがいに感じていることが表情からよくわかる。また知的障害者同士で悩みを話し合うことで、精神的に楽になったり、社会に認められる喜びを感じてもいる。観客も障害者なのに頑張っているなと思うのではなく、舞台に立つ一人の人間として観ることが大切だと思う」と話す。
21歳になるダウン症の息子を持つ在日2世の母親は、「息子は野球を好きになって、高校でも野球部に入った。好きなことをしている時は、顔が生き生きとするし成長する。いまも野球をできる場を探している。在日障害者も社会参加の機会が増えてほしいし、スペシャルオリンピックスやパラリンピックに出場できればと思う。ネットワークを広げて、方法を探したい」と語る。
スペシャルオリンピックでバレリーナのペク・ジユンさん(21、デジタルソウル文化芸術大)がダウン症であることを自ら知ったのは、小学校4年生の時だった。
母親の李ミョンヒさん(48)は、生まれたばかりのジユンさんがダウン症と告げられ、深い絶望感に襲われたという。小学校6年生の時、一緒に「くるみ割り人形」を見た。以後、舞台の上を飛び回るバレリーナはジユンさんの唯一の夢になった。李さんは娘を引き受けてくれるバレエ学院を必死に探した。
最初の1年間は練習しても成果がなかった。ダウン症は身体と知的能力の発達がすべて遅い。大人になっても平均知能指数(IQ)は20〜50程度。動作一つ一つに精神と筋肉を集中しなければならないバレエは容易ではなかった。特につま先立ちで体を回すターンは、平衡感覚が足りないジユンさんとって大きな壁だった。
ジユンさんは一日に何回も泣いた。しかし、日々の練習が実を結び、実力を付けていった。
国立バレエ団のメンバーとともにジゼル公演を終えたジユンさんは、観客の大きな拍手に迎えられ、「これからもバレエを続けたい」と語った。李さんは「バレエは私とジユンの大きな助けになった」と話した。