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2014/03/07

<在日社会>有田焼・薩摩焼、両国文化融合して発展

  • 有田焼・薩摩焼、両国文化融合して発展①

    15代沈壽官㊨と14代李参平

  • 有田焼・薩摩焼、両国文化融合して発展②

                    二代沈当壽の作品

  • 有田焼・薩摩焼、両国文化融合して発展③

                    陶祖 李参平碑

 特別企画展「海峡をつなぐ陶匠400年の旅―李参平と沈当吉(沈壽官家初代)をめぐって」が、東京・四谷の韓国文化院で5日から始まった。約400年前、韓半島から日本に連れて来られた陶工たちの技によって、日本の陶磁技術が発展し、世界に通じる新たな文化を生み出したことを通して、韓日の歴史と交流に思いをはせ、未来を考える企画だ。

 李参平と沈当吉の二人は、豊臣秀吉が朝鮮を攻めた文禄・慶長の役(1592~98年/壬申倭乱・丁酉再乱)の際に、日本に連行された。李参平は佐賀で有田焼、沈当吉は鹿児島で薩摩焼を作り、発展させた。

 明治時代には12代沈壽官の作品が、日本を代表してパリ万博に出品され世界的にも高い評価を受け、グローバル化の道を歩む。有田焼も欧州などで広く受け入れられた。

 同展は、約400年前に渡ってきた朝鮮陶工の中でも、今でもその歴史を継ぎ、日本の陶磁器史に大革命をもたらしたとされる両家を同時に扱った日本で初めての試み。東京では見る機会がほとんどない沈当吉の跡を継いだ二代沈当壽の作品「褐釉白泥指頭文徳利」や、李参平が興したとされる有田・天狗谷窯(1610年代)で制作された「染付碗」など約25点ほどの陶磁器と写真・解説の資料パネル約30点で振り返る。


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