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2021/12/17

<在日社会>浅川巧生誕130年に寄せて 寄稿 河正雄(光州市立美術館名誉館長)

  • 浅川巧生誕130年に寄せて 寄稿 河正雄(光州市立美術館名誉館長)

    秋田・田沢湖に「ふるさとの碑」を建立した河正雄名誉館長㊧

 私を育み、血と肉を作った故郷は生誕地の布施森河内(現東大阪市)、生後移住した秋田県の生保内(現仙北市)。2歳から4歳まで一時住んだ父母の故郷、韓国全羅南道霊岩。秋田工業高校卒業後に定着した埼玉県川口市である。そして、21歳の時にふらりと降り立った浅川巧のふるさと「清里(山梨県北杜市)」である。

 21年は浅川巧(1891年~1931年)の生誕130年、没後90周年記念の年である。カント学者でリベラリストであった安倍能成著「青丘雑記」(1932年、岩波書店)の中に「浅川巧さんを惜しむ」の文がある。これが1934年、中等学校教科書「国語六」に『人間の価値』と題して収録され、世の人々に知られることとなった。

 私は秋田工業高校3年(1958年)の時秋田県立図書館で「青丘雑記」を読み記憶に留めたことが、浅川巧との出会いとなり、その後の清里ライフの基になった。植民地支配下にあった朝鮮に生きて朝鮮の人々から愛された稀有の日本人である。巧の生涯は「人間の価値」が実に人間にあり、それより多くでも少なくでもないことを生が示した国際人である。

 私は在日の生を巧のように生きたいと念じた。巧のふるさと清里に住まいを持って生きた60年、故郷はありがたきものである。私は、在日で生きるための哲学を教えられたのが、浅川巧の生き方である。それは「人間の価値」の一文からである。浅川巧の業績は多くあるが、私の感銘は、その生きる姿、考え方であり、日々の行い、営みである。


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