◆ 昌徳宮の車寄せ ◆
昌徳宮の車寄せのある建物。高円宮殿下は「車寄せが面白いね」と言ってシャッターを押された(写真:上)
この建物は熈政堂(ヒジョンダン)といいます。宮様はこの突き出した御車寄せがお気に召され、写真をお撮りになりました。昌徳宮(チャンドッグン)内にある建物の中で車寄せが付いているのはここだけだそうです。
熈政堂は内殿に属する王のお住まい、「御所」にあたり、日常生活をされたところです。とはいいましても、ここで重要な人物とお会いになられたり、会議を設けて重要な決断を下されるなどかなり政治的にも宮廷の中心となる建物であったようです。
また、王妃のお住まいはちょうど熈政堂の後ろに位置する大造殿(テジョジョン)でした。
現在あるこの二つの建物は、1917年の大火災後1920年に景福宮(キョンボッグン)の王と王妃の住んでいらした康寧殿(カンニョンジョン)と交泰殿(キョデジョン)を移して再建されたものです。もともと昌徳宮にあった建物より一回り大きいそうで、そのため周囲の庭やほかの建物との調和がとれていない、とのことでした。
再建の時、電灯やガラス窓、椅子やカーテンなどの調度品が洋式になったらしいのですが、この南側に突出した御車寄せも同じ時に自動車が出入りしやすいように付け足されたようです。
純宗(スンジョン)皇帝は1926年に亡くなるまで晩年をここで過ごされましたが、明治以降の日本と同様、西洋文化が大韓帝国にもいろいろな形で矢継ぎ早に入ってきた時代だったのでしょう。高宗(コジョン)皇帝と純宗皇帝やその皇后が使われた馬車や御籠のほかに、当時お乗りになっていたダイムラーやキャディラックなどが近くの御車庫に展示されていました。
御料車を拝見してから熈政堂の御車寄せを眺めていると、純宗皇帝が実際にここにお住まいでいらした頃、立派な車で多くの要人が参殿、美しい装いのご婦人方もお供したのかしら、などと想像してしまいました。
伝統的な風情ある建物に、必ずしも合っているとは申せませんが、「この時代ならでは」の光景として独特のロマンを感じるのは私だけでしょうか?(高円宮妃殿下)