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2003/06/20

<トピックス>故高円宮殿下が見た韓国 -第13回-

  • 高円宮妃殿下

                     高円宮妃殿下

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    慶州の風情あるレストランの前で慶州市長(右)らと撮られた写真。中央がピンクのスーツ姿の高円宮妃殿下

 ◆ 古都・慶州を訪ねる ◆

 慶州の風情あるレストランの前で慶州市長(右)らと撮られた写真。中央がピンクのスーツ姿の高円宮妃殿下(写真:上)

 2002FIFAワールドカップ開会式の翌日、私たちは慶州におりました。この写真のとても風情のある建物は揺石宮(ヨソックン)という名前のレストランで、朝鮮時代末期の両班(ヤンバン)で大富豪だった崔氏の屋敷の一部だったそうです。向かって右側が慶州の市長さん、李源植(イ・ウォンシク)氏、左側がレストランの社長さんとご紹介いただきました。

 親日家の李市長さんは、選挙で忙しい中、昔から伝えられてきた韓国固有のお料理でもてなしてくださいました。こちらでは、新羅時代から朝鮮時代までの文献を参考に伝統韓国料理を再現しているそうで、目も楽しませてくれる数々のお皿に舌鼓をうちながら、会話に花を咲かせました。また、市長さんお勧めの法酒(ポブチュ)というもち米で作った地酒も試させていただきました。

 慶州は山に囲まれた盆地でとても美しいところでした。奈良市と小浜市と姉妹都市関係を結んでいるとのことでしたが、ユネスコの世界十大遺跡都市のひとつに選定されているだけあって、古都の趣を非常に感じさせます。私たちは昼食会場に向かう前に史蹟公園内の天馬塚(チョンマチョン)をゆっくり見学することができました。この公園のなかには23基の古墳が集中していますが、この天馬塚だけ内部見学ができるようになっていました。

 1973年に発掘され、古新羅(5世紀末から6世紀初)の王のお墓と考えられているとのこと。黄金製冠装飾器など、1万2000点におよぶ遺物が出土しました。円墳で埋葬の仕方が百済、高句麗や日本と違った新羅独特のやり方で、まず木簡をおいて、お棺を安置し、そのうえに川石を積み上げ、粘土、そして土を盛るのだそうです。

 いろいろ説明を伺いながら、金銀の装飾品、馬具や器などじっくり見て、塚から出てきたところ、日本人のグループと会いました。一瞬日本にいるような錯覚をおこしましたが、ワールドカップの観戦の合間に観光をしているとのことでした。いっしょに記念写真をとったあと、「日韓友好関係のためにみんなにも是非努力してほしい」と宮様がおっしゃっていらしたのが印象に残っています。(高円宮妃殿下・写真:下)