◆ 明暉園で ◆
明暉園設立当初から携わってきた女性から韓日の友好を願った手作りのペナントを頂く高円宮殿下と高円宮妃殿下(写真:上)
昌徳宮(チャンドックン)で李方子(イ・パンジャ)さまの住んでいらした楽善斎(ナクソンジェ)を見せていただいた翌日、私たちは安山市にある「明暉園」を訪問しました。ここは1968年に方子さまが李垠(イ・ウン)さまの意志を継いで設立された障害者の自立を目的とした施設です。
教育や職業訓練を実施するために社会福祉法人「明暉園」では、職業リハビリテーション教育施設の明暉園、障害者勤労施設のヘドン作業場、そして障害者特殊教育施設の明恵学校などを設置・運営していると伺いました。また、「明暉」は李垠さまの書道の雅号であった、と以前にどこかで読んだ記憶があります。
李垠さまと方子さまは1963年11月に心待ちにされていた帰国を果たされました。もうそのときには李垠さまは病気療養中でいらっしゃいましたが、祖国にお帰りになってさぞかしお嬉しかったことと存じます。
いろいろな方のお話を伺うと、当時、韓国には養護学校や特殊学級など障害児の教育はほとんどなされていなかった、とのこと。李垠さまのお付き添いをされる傍ら、方子さまは恵まれない子供たち、特に知的障害児の生活を少しでも充実したものにしてやりたい、と活動を始められました。そして、帰国からわずかで「慈行会」を発会なさいました。
写真の眼鏡のご婦人は、そのときから方子さまの福祉活動を支援、お手伝いなさっている金寿姙(キム・スニン)さんです。81歳だとおっしゃっていましたが、とてもご活発で、このとき自作のペナントをW杯出場国の数に合わせて32枚分をお持ちになりました。宮様はこれらを各チームに届けて欲しいとお頼まれになり、快くご承諾なさいました。
それらのペナントは黒地で、赤いハート模様の中にサッカーボールが織り込まれ、その下にある韓国と日本の国旗がリボンで結んであります。私たちのためには、似た図柄の大きな物が用意されていました。両国の友好な関係を切望なさっていた方子さまの遺志を伝えたいと金寿姙さんはおっしゃっていました。
このような方々に支えられて、一所懸命ご自分の新しい「祖国」のためにお努めになっていらした方子さまのお姿を、日本にいらっしゃる時だけではありましたが、見上げることができたのは幸せなことでした。その反面、もっと勇気を出していろいろお話を伺わなかったことが、今となっては悔やまれます。
ペナントですが、宮様はすぐに両国のサッカー協会を通じて、すべてのチームに説明を添えて届くように手配なさいました。負けたチームから帰国してしまうので敏速に対応するように、とおっしゃっていらしたのが懐かしく思い出されます。(高円宮妃殿下)