ここから本文です

2009/06/05

<トピックス>日韓女性親善協会                                                                  児童・学生交流軸に更なる飛躍めざす

  • 韓日・日韓女性親善協会特集①

    昨年の合同総会前、両国の役員は山東昭子参議院副議長公邸での歓迎夕食会に招かれた

  • 韓日・日韓女性親善協会特集②

    昨年の創立30周年の合同記念式典

  • 韓日・日韓女性親善協会特集③

    もりやま まゆみ 1927年生まれ。50年東大法学部法律学科卒。80年参議院議員当選。官房長官、法務大臣などを歴任。現在衆議院議員(自民党)。

  • 韓日・日韓女性親善協会特集④

    韓国で開かれた児童作品交流展示会

  • 韓日・日韓女性親善協会特集⑤

    25年続く学生交流

 日韓の相互理解と友好親善をめざして活動している日韓女性親善協会が昨年の創立30周年記念行事(写真・上から1、2番目)に続き、今年はさらなる飛躍をめざして組織強化、会員拡大などに取り組んでいる。そんな日韓女性親善協会が設立当初から取り組んでいる事業に児童作品交流(絵画・作文)と学生交流がある。児童作品交流は30年間、学生交流は25年間欠かさず続けてきた事業だ。次代を担う学生や将来の希望の星である子供たちの心に相互理解の種を蒔きたいとの一念からだった。長年の地道な活動の足跡を振り返ってみた。


◇ 児童作品交流30年 ◇(写真・上から4番目)

 現在、日韓女性親善協会は東京の本部のほか、福岡、関西、栃木、茨城の4支部で活動を展開しているが、児童作品交流と学生交流はその二本柱であり、特に今年開催30周年を迎える児童作品交流は、両国の児童交流の先駆けであり、他に類をみないほど長期間続いている。

 そもそものきっかけは、国連総会が全世界の児童の権利を積極的に擁護するため1979年を「国際児童年」とすることを決議したことによる。その年の10月にソウルで「韓日児童作品画展」が開かれ、翌年に日本開催へとつながった。当時、韓日間の交流は今日とは比べようもないほど少なく、お互いに偏見もあった。双方の女性組織はできたばかりで、活動も手探りの状態だった。

 そんな中で児童交流に着眼したのは卓見であり、また直ちに実施する迅速さをみせた。創設者の故相馬雪香・名誉会長は、「私たち女性は子供を生み育てる故でしょうか、どうしても次の世代を考えずにいられないのです」と述べられていたが、女性ならではの発想だった。

 今年もソウルを皮切りに巡回展示される。日本では各小学校からの作品募集を7月3日に締め切り、選抜した100点ほどをソウルに送り、8月13日から21日までソウルの日本大使館広報文化院の2階にあるシルクギャラリーで展示する。韓国からの出品作を含めると展示作品は300点あまりになる見込み。その後、福岡で9月、大阪で10月に展示、東京では11月以降開催。翌年に栃木で開催するスケジュールになっている。この30年間に両国でおよそ3万人の子供たちが出品したと集計されている。

 児童の作品を集めるため、各小学校の協力が欠かせない。栃木支部の場合、青木和子会長自ら「心の距離を近づける、地に足の着いた親善」として、この事業に力を入れ取り組み、県下の各小学校からも多くの参加が得られた。

 その甲斐もあって、2000年にソウル近郊で開かれた「高陽世界花博覧会」に、日本代表として宇都宮中央小学校の児童たちが100点の絵画を出品し、小さな交流を通わせた。また、明石康・元国連事務次長は、2003年に宇都宮国際交流会啓発事業での講演で、「生きている声の聞こえる交流」と同協会に賛辞を送った。

 宇都宮市立東小学校の栗田純子校長は、「1枚の絵画が子供たちに感動を与え、韓国について調べてみたいとか韓国の人と友達になりたいと思う心から交流の輪が広がっていくのだと思います。私たちは作品の交流や鑑賞を通して、また日韓女性親善協会の方々とのふれあいを通じて自分を見つめ、さらに世界へ目を開かせてくださった機会を与えられたことに感謝します」と述べている。

 福岡支部では、当初から支援している福岡市との共催で実施。毎年「アジアマンス」に合わせて9月ごろ開催している。昨年は特選、入選の51人を表彰、子供たちの一生の思い出になるようにと賞状と受賞作品の写真入ホルダーを贈った。

 福岡の日韓児童画交流絵画展は、地元マスコミも注目。西高辻典子会長は、インターネットで知ったという長崎の子ども記者からインタビューを受けたりした。

 大阪支部では西端春枝会長が中心になって実施。佐藤浩子副会長の母校、大阪市立大江小学校が校長はじめ学校を挙げて協力しており、秋の運動会に合わせて230点ほどを展示している。

 茨城支部では、冨山洋子会長が、茨城県日韓親善協会、民団茨城県本部などと協議して、様々な日韓親善事業に取り組んでいる。筑波研究学園都市がある茨城県は、県をあげて国際交流をしており、鹿島市と韓国の西帰浦市が姉妹提携を結んでいる。来年3月開通する茨城空港はソウル路線も開設される予定だ。

 韓国の児童画を見て、次のような様々な意見があった。「色がとってもきれい、風土色が感じられ力強い。どんなことを勉強しているのか、家でどんな食事をしているのか、好きな食べ物は何か聞いてみたい。短い時間だったけど韓国に行った気分になった」。

 絵画のテーマは自由だが、作文については両国でテーマを決めている。

 「私の家族」「好きな色」「ペット」といった身近なことから「2002ワールドカップ」「2005日韓友情年隣の国の友達」など毎年様々なテーマが設定されている。同じテーマの作文でも韓国と日本の子供ではそれぞれに感性が異なり、お互いの違いを発見することで、理解することの大切さが分かるという。

 宇都宮市立新田小学校の手塚清野元校長は、「『お隣の国、韓国』という作文を読むと、『もっともっと韓国について知りたい』『ハングルを習ってみたい』『日本に一番近い国韓国と、世界で一番仲の良い国になれるといいな』などの記述がみられ、子供たちが韓国に対する親しみや、交流したいという気持ちが育まれていることがうかがえます」と記している。このように日韓児童作品交流30年の歴史は様々な種を蒔き、友好親善の確かな礎になっていることがわかる。

 ソウルの韓日女性親善協会では、今年10月の日韓女性親善協会との合同総会にあわせて、この間の韓日児童作品交流展の出品作品から選んでカラーで200ページほどの「作品集」を作る計画をすすめている。日韓女性親善協会は、「子供たちが感じた、その時代そのときの心の表現の記録であり、貴重な一冊になる。初めての試みだが、ぜひ両国で協力し合って実現したい」と協力する考えだ。


◇ 学生相互交流25年 ◇(写真・上から5番目)

 日韓女性親善協会が児童作品交流とともに大事な事業として継続しているのが1984年にスタートした学生交流(当初は青年交流と呼称)だ。その年、日本の学生ら16人が訪韓したのが始まりで、その後、年に2回、2月に韓国から来日し、8月に日本から訪韓する形で行われている。今年2月の来日学生数を含め、この25年間に延べ720人が相互訪問したことになる。

 交流の積み重ねの中で、今日では学生たち自ら一種のサークル組織「日韓学生交流」を組織、迎え入れのスケジュールや企画を組むまでになっている。約1週間にわたり、その時々のテーマについての討論や名所旧跡訪問、ホームスティも実施。友好を深めるとともに、交流を通じて両国の歴史的関係の深さを知り、国際性も養われる成果をあげている。

 森山会長は、この学生交流について「両国の親善促進のためには、若いときに交流の経験をすることが何よりです」と語っている。

 今年2月に韓国から学生15人が来日し、日本の学生と意見交換したり、日光東照宮などの観光、2日間のホームスティなどを楽しんだ。日韓女性親善協会の支援を得て、日本の学生たちは半年前からプログラムを準備したという。

 今回、初めて参加した立教大学1年の山本恵さんは、「文化や感覚の違いはありますが、新しい発見や驚きなど逆にそれが楽しめたと思います」と感想を記している。また、国際基督教大学2年の菱谷彩さんは、「このプログラムを通して、もっと韓国語のスキルの向上を目指し、韓国のサブカルチャーを深く知りたいと思うようになった。それは、KJSE(韓日学生交流)のメンバーと沢山会話をし、彼らを通して韓国という国についてさらに知りたいと思ったからである」と述べている。

 第1回目の訪韓メンバーの一人、小島勝氏は当時を振り返り、「3日後の別れのセレモニーで日韓双方の学生は別れを惜しんだ。お互いに会って話せば分かり合えることを実感した。日韓の学生は混乱の時期に両国の女性の深い愛情に包まれ、お金では買えない大きなプレゼントを頂いた」と当時を振り返り、「日韓双方の学生が高い目線で両国の将来を考え、議論する場、友好を深める場」となるよう期待しているとの感想を寄せている。

 学生交流を体験した学生たちは、その時の思い出を忘れず、その後もなんらかの形で韓国との交流をもっている人が少なくない。1988年の第4回目に訪韓した近藤大介氏は、「数年のうちに韓国経済は日本経済を追い抜いてみせます」と狂ったように勉強する女学生の姿などに遭遇、「カルチャーショックと韓国の魔力に全身が憑かれた」結果、人生の航路が決まった。出版社に勤務、月刊誌や週刊誌で韓半島に関する記事を書く編集者として活躍している。

 日韓女性親善協会が25年間、欠かさずに続けてきた学生交流が、将来の韓日関係の発展のため確実に芽吹いているといえそうだ。「三つ子の魂百まで」という。児童作品交流と学生交流事業のさらなる発展が期待される。


◇ 日韓女性親善協会 森山 眞弓 会長 ◇ ――女性交流が国民のつながりに (写真・上から3番目)

 ――昨年は日韓女性親善協会創立30周年という節目の年でした。さらなる飛躍をめざして会長の抱負をお聞かせください。

 会員の皆さんが今日まで30年間おやりになった伝統の上に、引き続き相馬先生がいらっしゃった時のように続けていきたいと思っています。こういう時に相馬先生だったら何とおっしゃるかなと思いながら活動しています。

 ――韓日双方とも協会の創業者が去りました。「命の限りやった」という相馬初代会長の意思をどう引き継がれますか?

 韓国と日本は隣同士であるから一番近い外国になります。あまりにも近いために、時々小競り合いがあったりして、外交問題になります。

 まず国民同士が、特に女性同士が日ごろの自分たちの生活から出たいろいろな問題、たとえば子どもの教育や家計の話しなどをすれば共通の話題になります。他愛のない話かもしれませんが、実はそういうことがとても大事なことで、お互いに話しをすることで、国民同士のつながりにもなり、それが国と国とのお付き合いにもなっていく。私は、こうした相馬先生のお考えを忘れないようにやっていきたいと思います。

 ――韓流ブームもあり、韓国に関心を持つ女性議員も多いはずです。協会メンバーに国会議員も積極的に勧誘するお考えは?

 元国会議員の小野清子さんに副会長をやっていただき、野田聖子、猪口邦子、川口順子、上川陽子議員も会員になっていただいています。衆議院選挙が終わって一段落したら、もっとお誘いできるかも知れません。定期的に講演会やバザーなどを行って大勢の方に来ていただいているので、国会議員の方にもそういう行事に参加していただきたいと思います。

 日本全国に理事は24人、会員は東京の本部は200人ほどいます。栃木、茨城、大阪、福岡の全国4カ所に支部があり、各支部の会員を合わせると600人くらいです。地域ごとの会員拡大もそれぞれ努力しています。

 ――これまで児童画展と学生交流がメイン事業でしたが、蒔いた種は、会長から見てどんな実になっていると思いますか。

 小学生の時から直接交流をすることはあまりないですが、絵を韓国に送るんだ、日本に送るんだということになれば、自ずと親も関心を持つようになり、広がりが大きくて非常に良いことだと思います。そして、大学生の場合は本人が希望して入ってきて実際に交流をしています。そういうことが確実に、しっかりとした実になってきていると思います。

 学生交流参加者も今では40歳以上になっている人もいる筈です。そういった人たちにも会の仕事を応援してもらっており、たとえば児童画展を開く時には、学生さんたちにも来てもらって、いろいろとお手伝いしてもらっています。

 ――韓日関係は年間500万人が往来する時代です。協会の裾野を拡大するため、今後はどんな事業を展開するお考えですか。

 副会長が3人になり、約20人の理事の担当役割も変えて協会の活性化を図っています。新しい気持ちで取り組めば、今まで気がつかなかったことも分かってくるでしょう。協会の活動をもっと知ってもらいたいです。

 会員になれば楽しい時間を過ごすことができるので、誰でも気軽に参加してほしいと思います。数カ月おきに講演会を開催しており、研究者から報道関係の人まで、韓国に詳しい人の話しを聞くことができます。

 逆に韓国について詳しい人がいれば、自分の知識を多くの人に披瀝してもらってもいいでしょう。料理教室も開いていて、韓国の宮廷料理を教えてもらったり、韓国料理店のシェフに指導を受けたりといった行事もあるので、興味のある方はぜひ参加して下さい。


◇ 韓日女性親善協会 李 堯植(イ・ギョンシク)会長 ◇ ―― 互いに向き合い対話を

 今、両国の子ども達が描いた絵と作文を一冊の作品集にまとめる作業中です。

 はじめは、それぞれの絵に特色があったのですが、最近は見分けがつかなくなりました。面白いです。それが勉強になります。学生交流はとっても重要で、今、何が必要かがわかります。

 この30年間に私は日本語が勉強でき、友達もできました。私たちの韓日交流の仕事は大事です。心で思ったことを言葉で表現するには、お互いに向き合って話し合うことが大切です。

 「交流は平等だ。これが基礎です」


◇活動に力入れる執行部◇

「新たな30年へ向け」 副会長 小野 清子さん
 
 新たな30年へ向けすでに行われている研修旅行や学生交流、児童作品交流などをより発展し次世代に繋げる交流の時代に入って参りました。これまでの30年の歴史を基に、日韓の親善をより深め着実に進んで参りたいと思います。 


「発展的交流を」 副会長 重光 真奈美さん

 昨年、30周年の節目の年を無事におえました。これを機に、役員の組織替えなどを行い、両国でのはじめての協力事業なども試みております。秋にはソウルで合同総会が開かれますので、より発展的に交流を深めて参りたいと思います。


「会の皆様と共に」 副会長 岩動 麗(いするぎ・れい)さん

 新しい年度がスタートして、考えることは、相馬名誉会長亡き後のことや、会員の補充などです。

 会の皆様と共に知恵を出し合って、バザーや見学会、お料理の会などの事業を丁寧にしていくことが大事だと思います。