ここから本文です

2010/03/26

<トピックス>李健熙氏・サムスン電子会長に復帰

  • 李健熙氏・サムスン電子会長に復帰

    笑顔の親子。サムスン電子会長に復帰した李健熙前会長(左)と子息の李在鎔副社長

 サムスングループの李健熙(イ・ゴニ)・前会長が、サムスン電子会長として復帰した。同グループのコミュニケーションチーム長である李仁用(イ・インヨン)副社長が24日、「李前グループ会長が、本日付でサムスン電子会長として経営の第一線に復帰することに決まった」と発表した。昨年末に特別赦免を受けてから3カ月足らずでの復帰宣言だ。2008年4月22日に退陣宣言をしてから23カ月。李前会長の電撃復帰の背景を探ってみた。

 李副社長によると、サムスン社長団協議会は2月中に2回にわたり、李会長の経営復帰問題を話し合った結果、世界経済の不確実性が加重するなかグローバル事業のチャンスを先取りするためには、李会長の経験とリーダーシップが必要だと判断した。復帰を求める建議文を作成し、先月24日に李会長に伝達。李会長は1カ月間悩んだ末に、経営復帰を承諾したという。

 サムスングループの中核CEO(最高経営責任者)らは、これまで公の場で李会長復帰の必要性を示唆する発言を繰り返しており、李会長本人も、経営復帰の可能性を何度か匂わせていた。

 李会長は、サムスングループをめぐる不正疑惑に関する裁判で、サムスンエバーランド転換社債(CB)の不当価格発行による背任については無罪判決を受けたが、サムスンSDS新株予約権付社債(BW)の不当価格発行と脱税では昨年8月に有罪が認められ、懲役3年、執行猶予5年が確定した。

 しかし、2018年冬季五輪の平昌招致にはIOC(国際オリンピック委員会)委員も務める李会長の役割が必要だとする一部からの指摘に後押しされ、昨年末に李明博大統領から単独赦免を受け、経営復帰の足場を築いていた。

 赦免後、李前会長の経営復帰は既成事実として受け止められた。サムスン電子の個人大株主で、赦免によりすべての法的論争から脱した李前会長にとって、残る障害は世論だけとなった。この点、バンクーバー冬季五輪で好成績をあげた韓国選手団への積極支援と平昌冬季五輪招致活動が世論懐柔にプラスに働いたとの指摘もなされている。

 サムスンの発表内容を見ると、社長団から復帰要請を受けた李前会長は、「今が本当の危機」と言及し、復帰を決定した。過去にも「危機」を強調してきた李前会長が、再び危機論を掲げたことが注目される。

 社長団による会長職復帰要請と李前会長の復帰決心に決定的な役割を果たしたとされるのは、「トヨタ事態」とされる。復帰発表をした李仁用副社長は、最初に李前会長復帰の話が出たのは2月17日だが、そのころ、トヨタ自動車のリコール問題が最も大きな話題となっており、大変な衝撃だったと話した。

 李前会長自身も、経営復帰の決定に際し、「グローバル一流企業が崩壊しつつある。サムスンもいつどうなるか分からない。今後10年以内に、サムスンを代表する事業と製品の大部分が消えるだろう。もう一度始めなければならない」と語っている。

 李前会長は、会長を辞した後も隠然たる影響力をもっていた。今回の経営一線への復帰で強力なオーナー経営が再現される見通しだ。特に、大規模投資に対する速やかな判断など経営スピードが増すと見られている。李前会長の復帰に伴い、サムスン式経営を象徴するグループのコントロールタワー、「戦略企画室」の復活する可能性も出てきた。同部署の解散で公には退陣した李鶴洙(イ・ハクス)・現顧問ら中核構成員の復帰も注目される。戦略企画室は、2008年4月の李前会長の退陣宣言とともに解散が発表され、同年6月に正式に解散した。しかし、世界に数百社の法人と27万人の社員を抱えるグループの経営を総帥が掌握するには、補佐機関が不可欠とみられる。

 いまひとつ、サムスングループ会長ではなくサムスン電子会長として復活したのはなぜだろうかという疑問がある。当初名誉会長としての復活もささやかれていた。これに対しては、サムスン電子はグループを代表する企業であり、その会長であるオーナー経営者の立場を見てほしいということだ。巨大企業がオーナー体制を続けることの功罪は今後の成り行きを見守る必要があるとの指摘もある。