世界各地でサムスンやLGなど韓国企業の躍進が目立ち、バンクーバー冬季五輪でも韓国選手のメダルラッシュが相次ぎ、世界を驚かせた。今日、日本でも、ゴルフ界やサッカー界、さらには歌の世界では韓国出身者なしには活性化は考えられない時代になった。このような姿は閉塞感のある日本や日本人が率直にもっと学ぶべきであると主張する西村和義・日韓経済協会元専務理事に寄稿していただいた。
14歳まで韓国で生まれ育ち、大学では中国を専攻し、企業では東南アジアに勤務した経験から、第一線から引退後も、よくアジアの国々を旅し、変化を見るのが楽しみで、この一年も、国際学会などで中国を数回、マレーシアとモンゴルを訪ねた。これらの国々は行くたびに大きな変化に驚くが、今回際立ったのは、サムスン、現代(ヒョンデ)、LG等の韓国企業の活躍で、特にモンゴルでは、数えたわけではないが、街を走る車の半分が現代車のような印象で、建設や観光分野でも韓国の進出が目立ち、加えてアジア各国における韓流(テレビ、音楽など)の大した人気であった。
それだけでなく、ここ数年の米国や日本での韓国女子ゴルファーの目ざましい活躍、そして先のバンクーバー冬季五輪での世界を驚かせた韓国のメダルラッシュである。今日、日本では、ゴルフ界だけでなく、サッカー界でも歌の世界でも、韓国出身者なしに活性化は考えられない。
今日の世界における韓国の企業や文化、スポーツなどの元気さは、決して偶然ではなく、いま元気を失いつつあるように見える日本と日本人が学ぶべき、多くの教訓があると確信している。
まず、世界の中での韓国の「地位」「国家としての格」を高めようとする、一貫した明確な国家戦略とそれに応える国民の強い意識と実行力を感じる。
官産学が強力に連携戦後の韓国の発展の歩みを見ると、三段跳びに例えるのは失礼であるが、第一の「ホップ」は、『漢江(ハンガン)の奇跡』といわれる朴正熙(パク・チョンヒ)大統領時代の近代工業国家への変革。第二の「ステップ」は、突然のアジア金融危機に遭遇(1997年)し、金大中(キム・デジュン)大統領就任と共に、果断な金融・財閥事業の統合再編、対外投資の思い切った開放等、遅れていた国際化時代への転換によるV字型経済回復。この時期に直接お会いした朴泰俊(パク・テジュン)総理の「国家の金庫を開けてみたら、金は全く無く、借用書だけだった」という苦悩の言葉と、外貨不足に少しでも役立とうと、手持ちのドルや金製品を進んで供出した国民の愛国心に感銘したことを思い出す。
第三の「ジャンプ」は、2008年米国発の百年に一度という世界的な金融・信用危機にいち早く対応し、李明博(イ・ミョンバク)大統領を先頭に、官産学が強い連携協力のもと、政治経済のグローバル化に乗り出し、先進国のみならず、むしろ中進国や発展途上国へ積極的に進出し、韓国経済を急速に回復させている。特に、昨年暮れ、李大統領が直接UAE(アラブ首長国連邦)に乗り込み、総額400億㌦の原子力発電所4基の建設工事を受注したことは、象徴的かつ画期的なことである。
韓国と尊敬する多くの韓国人との長い交流を通じ、いま日本が韓国に学ぶべきことを大小羅列的に挙げてみたい。
何につけスピードが早いこと。政治や政策面では、大統領制と議会の一院制が効果的に働いている。わが国の二院制は、時間とコストがかかり過ぎ、改革を遅らせており、二院制でなければ民主主義でないと考えるのは、全くの錯覚であると思う。
独立心、自立心が圧倒的に強い。高校生対象の古い調査(2006年12月)だが、「やりたいことに、いくら困難があっても挑戦したい」(日本8%、韓国22%)、「将来自分の会社を作りたい」(日本8・6%、韓国31・4%)との結果が出ている。韓国は大企業に財閥系が多いため、転職独立を考える社員も多く、それがベンチャー企業やIT(情報・技術)の発展の基盤になっている。日本の若者の中には、就職難で一度失敗すると、「引きこもり」や「フリーター」となり社会問題になっているが、韓国の若者のように、多少の失敗を恐れず、小さくとも会社を作って社長になろうという気概を持って欲しいものである。
海外指向も強い。日本の若者の海外留学が激減しているのに比べ、米国への外国留学生では、いまや韓国人が最大である。中学から米国へ母親と共に留学している家庭も少なくない。国内の人口や市場には限りがあるので、子供の将来のためには、早くから英語力と国際感覚が必要という考えからか。韓国内の大学生の英語力も大したものであり、韓国の両親の教育熱心は世界一とのこと。米国ゴルフ界での韓国女子選手の大活躍もその成果だと思う。外資や外国人の受け入れも、日本より格段に広く、自国経済に役立てている。
若者の礼儀正しさも評価したい。韓国の友人たちは、「今はそれほどでも」とは言うが、韓国で地下鉄に乗ると、直ぐに若者たちが立ち上がって席を譲ってくれる。旧正月や秋夕(チュソク)には、混雑の中を故郷に戻り、両親や祖父母に挨拶をする習慣が強く残っている。日本で韓国の多くの若いビジネスマンや大学院生との交遊があるが、決してお世辞ではなく、みな感心するほど礼儀正しく優れた人格者であり、私は歳はかなり上ではあるが尊敬している。儒教の良さが残っているためか、或いは徴兵制で規律や団体生活、指導力を学んできたためか。
観光業にも力を入れている。韓国にとって、外貨獲得と共に地域発展のために、観光事業の拡大発展は基本的戦略の一つで、多くの観光地では、施設は逐年改善されており、地域で心から歓迎し、また来て下さいというもてなしの心を感じる。それに、辛いだけでなく意外に豊富で多様な味に接し、訪ねた日本人は良い印象をもって、リピーターとなっているようだ。両国はお互いに最大の訪問国であり、相互に訪ねるというのが理解の最良の近道である。
学ぶべきことを挙げればきりがないが、勿論全てに光と共に影もあり、日本が優れていた点も少なくない。これまでもお互いに多くのことを学びあってきた歴史があり、今日、日本の各方面で「韓国に学ぼう」という機運があるのは大変良いことである。
日韓の協力関係を語る時、ともすれば違いや不安や競争関係のみ強調しがちであるが、世界の多くの国の中で、最も共通性の多いのも日韓両国である。EU(欧州連合)やNAFTA(北米自由貿易協定)に続き、中国も急拡大を続ける中で、最も近い両国がバラバラの対応では、共にその存在は危うくなりかねない。近いが故に、金融・運輸・物流・環境・エネルギー・人材など、一つの市場・経済圈としてもっと活用し合い、協力する余地は大きいと確信する。
冬季五輪で、これまで欧米やロシア圏に席巻されていたスケート競技で、男子5百㍍と女子フィギュアで、韓国と日本の国旗が美しく並んで掲揚されたのは、日本人として、また韓国を第二の故郷と考えている私にとって、涙と共に深く感激し、近い将来の両国の協力関係を象徴するように思えた。