郵便学者の内藤陽介さんによる「切手に描かれたソウル」が、新連載される。第1回目は94年にオープンした「戦争記念館」で、内部のようすから、最新の展示までを紹介し、同館を通して韓国現代史を見つめていく。
現在、韓国陸軍の本部は、忠清南道(チュンチョンナムド)の大田(テジョン、93年の万博開催地)に隣接する鶏龍台(ケヨンデ)にあるが、1988年まではソウル市内の竜山洞(ヨンサンドン)の漢江(ハンガン)と臨津江(イムジンガン)が合流する地点にあった。
戦争記念館はその広大な跡地に、1990年9月28日に起工し、1994年6月10日にオープンした。ちなみに、9月28日というのは、韓国戦争中の1950年に韓国・国連軍が、朝鮮人民軍(北朝鮮軍)によって占領されていたソウルを奪還した記念日にあたっている。
記念館がオープンした1994年の6月は、いわゆる“1994年危機”で朝鮮半島情勢がきわめて緊張していた時期だ。
すなわち、同年4月の米韓合同軍事演習(チーム・スピリット)再開に対抗して、北朝鮮は「準戦時体制」を宣布。核拡散防止条約から脱退し、同年5月にはミサイル(ノドン1号)の発射実験を行うなど、“瀬戸際外交”を展開した。
“第2次韓国戦争”の勃発が懸念される中、戦争回避のためのギリギリの外交交渉として、カーター元大統領が平壌に派遣されたのは6月15日。戦争記念館オープンから5日後のことだ。
結局、カーター訪朝によりアメリカとの対話再開のきっかけをつかんだ北朝鮮は、各国の予想に反して、金日成みずからがカーター斡旋を受け入れて、寧辺(ヨンピョン)の核開発関連の複合施設の全面凍結と対米交渉再開に応じることを発表。第2次韓国戦争はとりあえず回避されたが、7月8日に、金日成が急死し、事態は再び不透明化していく。
偶然とはいえ、第2次韓国戦争の危機に多くの韓国人が緊張していたなかで、韓国戦争の歴史を伝える記念館がオープンしたことに、何やら因縁めいたものを感じずにはいられない。
さて、記念館の建物はベルサイユ宮殿をイメージしたとのことだが、僕は元ネタとなったというベルサイユ宮殿をよく知らないのでピンとこないのだが 。
地下2階、地上4階の展示館の前には2000坪の人工湖と 市民自由広場があり、戦車や飛行機などの屋外展示については無料で参観することができる。
しかし、一番目立っているのは、巨大なドームの上に立つ“兄弟の像”だ。これは、南北の分断で離れ離れになった兄弟が、韓国戦争の戦場で、兄は韓国軍将校、弟は北朝鮮兵士として再会する場面を表現したもの。あくまでもイメージの再現だそうだが、あの戦争のときには、こうした光景が各所で見られたに違いない。
前庭に建てられた戦没者慰霊碑の台座に刻まれた「自由はただではない」との文言とともに、しぜんと粛然とした思いにさせられる。
館内の展示は、通常、①護国追慕室(戦没者の追悼空間)、②戦争歴史室(先史時代以来、独立までの戦史)、③韓国戦争室 (韓国戦争時の韓国・国連軍の活動、戦下の人々の生活)、④海外派兵室(ベトナム戦争やその後のPKO活動など)、⑤韓国軍発展室(建軍後の韓国軍の活動に関する展示)、⑥大型装備室 (韓国戦争時の大型兵器の展示、武器・装備品の展示)の6部門に分かれているのだが、現在、記念館では“ア!6・25(朝鮮戦争開戦の日付で、ここでは、戦争そのものを意味する)”と題する特別展をやっていて、若干、展示の構成が異なっている。
ちなみに、2010年中は、特別展のエリアは有料だが、亀甲船の復元模型などがある通常展示に関しては無料での公開だそうだ。
特別展の入り口には、60をかたどったオブジェの前に当時の戦車や飛行機の実物がおかれ、その後、朝鮮戦争を中心に南北分断の歴史をたどる第1部の展示が始まる。
とはいえ、単に戦死をなぞるだけではなく、朝鮮戦争後の韓国の復興・経済成長や、北朝鮮の現状などにも相応のスペースが割かれていた。
なお、北朝鮮に関しては、昨年のデノミ失敗は展示にあったが、「天安事件」についての展示はなかった。展示が始まるまでに間にあわなかったのだろう。
続いて、非武装地帯(DMZ)の現状を紹介する特別展の第2部では、韓国軍の活動を紹介するコーナーとあわせて、DMZ地域の自然を紹介する展示もあった。一般人が近付けないがゆえに残された豊かな自然の風景をみていると、つくづく、人間とは愚かな生き物だと思ってしまう。
館内をウロウロしていたら、意外なことに、中国からの団体客をかなり見かけた。特に、兵器の展示の前で、中国語を話す若い女性が記念写真に興じていたのが印象的だった。
おそらく、彼女たちには、韓国戦争に際して、中国が北朝鮮支援のために人民志願軍を派遣し、韓国・国連軍と戦ったということについてのこだわりはほとんどないのだろう。
そういえば、6月25日付の中国国営の新華社系列の中国紙「国際先駆導報」は、朝鮮戦争開戦60周年に関する特集記事を掲載し「北朝鮮軍が38度線を越えて侵攻、3日後にソウルが陥落した」と紹介したという。人民志願軍を派遣した中国は、公式には開戦の発端が“北朝鮮の南侵”だったとは認めてこなかったが、そろそろ、歴史的事実を直視しても問題ないと判断されたということなのだろうか。