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2010/09/17

<トピックス>切手に描かれたソウル 第3回 弥勒菩薩像                                               郵便学者 内藤 陽介 氏

  • 郵便学者 内藤 陽介 氏

    ないとう・ようすけ 1967年東京生まれ。東京大学文学部卒業。日本文芸家協会会員、フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を研究。

  • 切手に描かれたソウル 第3回 弥勒菩薩像②

                  中央博物館開館記念切手

  • 切手に描かれたソウル 第3回 弥勒菩薩像③

        弥勒菩薩が最初に描かれた62年発行の国宝第78号切手

  • 切手に描かれたソウル 第3回 弥勒菩薩像④

                  69年発行の国宝第83号切手

  • 切手に描かれたソウル 第3回 弥勒菩薩像⑤

                   報恩寺の弥勒菩薩像

◆日韓の絆を表す文化遺産◆

 ソウルの国立中央美術館には、さまざまな韓国美術の名品が収蔵されているが、その中から一つだけ挙げろといわれたら、やはり、国宝第83号の弥勒菩薩像を挙げる人が多いのではなかろうか。

 実際、2005年、地下鉄4号線二村(イチョン)駅近くに現在の博物館がオープンした際に発行された記念切手は、博物館のシルエットを背景に、第83号を大きく取り上げたデザインとなっている。

 ここで少し、仏教用語についておさらいしておこう。

 菩薩はサンスクリットのボーディサットヴァを音訳したもので、「悟りを求める人々」という意味だ。悟りを目指して修行し、仏陀になる以前の者を指す。このうち、サンスクリットではマイトレーヤとよばれる弥勒菩薩は、釈迦の次に仏陀となることが約束された最高位の菩薩で、釈迦の入滅後、56億7000万年後の未来に現れ、多くの人々を救うとされている。

 さて、韓国には著名な金銅弥勒菩薩半跏思惟像(椅坐して左足を下ろし、右足を上げて左膝上に置き、右手で頬づえをついて瞑想する姿)として、国宝第78号と同83号があるが両方ともその詳しい来歴等は不明で、実は、正確な制作年代は特定できていない。

 最初に切手に取り上げられたのは、第78号のほうで、朴正熙(パク・チョンヒ)政権発足から間もない1962年に50銭(チョン)切手に取り上げられた。書状の基本料金が4ウォンだった時代のことである。一方、第83号を取り上げた最初の切手が発行されたのは、書状の基本料金が10ウォンだった1969年のことで、切手の額面100ウォンというのは、その10倍に相当する高額だった。

 7年の間に、切手の印刷方式も平版からグラビアへと変わっており、「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれた経済成長によって、切手の品質も向上していることがわかる。

 第83号については、わが国の奈良・広隆寺の弥勒菩薩像と、①宝冠が無紋で王冠形、②右膝を大きく誇張し、裳が二重に巻かれている、③左脛に衣紋が無い、などの類似点があるため、第83号が広隆寺の像のルーツだと主張する韓国人が多い。

 1995年に「韓日国交正常化30周年」の記念切手が発行された際、韓国郵政が中宮寺の弥勒菩薩像を切手に取り上げたのも、日本と朝鮮半島は古くから深い関係にあること(そして、韓国側の認識からすれば、古代の日本が朝鮮半島から多大な文化的恩恵を受けてきたこと)を強調しようという意図があるからにほかならない。

 ただし、たしかに日本は朝鮮半島を経由して仏教を受容したし、それゆえ、仏像制作についても多大な影響を受けていることは間違いないのだが、前にも述べたように、韓国の国宝第83号の制作年代が特定できない以上、広隆寺の像が第83号そのものを模倣して作られたと断定することには無理がある。

 なお、第83号は金銅像だが、広隆寺の像は木造で、韓国には818年以前の木造仏は残されていないことも、付記しておこう。

 さて、83号の仏像は3階の彫刻・工芸館の一番奥の仏教彫刻の展示室で拝める。

 暗い室内にスポットライトで浮かび上がる仏像は、なんともいえない神秘的な姿で、さすがに、博物館のホームページで、「世界最高傑作の一つとして挙げられる」との形容詞がつけられているのも十分に納得できる。

 そのためか、仏像の撮影はOKだが、フラッシュを使用してはいけないということで、ぼくが使っている安物のデジカメでは綺麗な写真が撮れないのが悔しい。

 ところで、弥勒菩薩像というと、ぼくたち日本人がすぐに連想するのは、韓国の国宝第78号や第83号、広隆寺や中宮寺の像などの半跏思惟像だが、世界的にみると、弥勒菩薩イコール半跏思惟像と決まっているわけではない。

 そもそも、インドでは弥勒菩薩像は水瓶を手にする像として表現されていたし、唐代以前の中国では、足を交差させ椅子に座る像が多くつくられた。イスラム原理主義のタリバンに破壊されたバーミヤンの立像も、実は弥勒菩薩だった。

 昨年(2009年)、江南のCOEX(韓国総合展示場)で開催された、アジア国際切手展に参加した際、空き時間に会場と道路を挟んで反対側にある奉恩寺(ポンウンサ)という寺をふらっと訪れてみたら、巨大な弥勒大仏の立像があったのを見つけて、ちょっと驚いた。

 独特の宝冠をかぶった姿は、論山(ノンサン)にある潅燭寺(クァンチョクサ)の弥勒菩薩立像にも通じるものがある。もっとも、1996年にできたという、この新しい像が、その文化的な価値を認められ、切手にも取り上げられるようになるまでには、まだまだ相当の年月がかかるだろうけど。