◆切手では見れない紅葉の名所◆
韓国気象庁が発表した2010年度の紅葉予想によると、雪岳山(ソラクサン)では10月3日頃から始まり、10月20日頃にピークを迎えるとのこと。例年、ソウル市内の紅葉は雪岳山の紅葉がピークを迎えるころから始まり、2週間ほどでピークを迎えるというから、今年も11月初めがソウル市内の紅葉の見ごろということになるのだろう。
もっとも、年に何回かはソウルに行くのだが、残念ながら、実際に韓国で紅葉を見たことはない。もちろん、機会があれば、ぜひ見てみたいと思ってはいるのだが 。
韓国で紅葉の名所といえば、まずは雪岳山、ついで北漢山(プッカンサン)ということになるのだろうが、ソウル市内で僕が目をつけているのは昌徳宮(チャンドックン)だ。
昌徳宮は李王朝時代の1405年、正宮である景福宮(キョンボックン)の離宮として建てられた。
1592年の「文禄の役」の際、ソウルの宮殿は昌徳宮を含めてすべて焼失した。その後、昌徳宮は1615年に再建され、1865年に景福宮が再建されるまで、王の在所となった。
このため、韓国国内に現存する宮殿のうち、創建時の姿に最も近い宮殿といわれている。
たとえば、正門にあたる敦化門(トンヌァムン)は1609年に再建されたものだが、韓国に現存する宮殿の正門としては最古のものとされているほか、敦化門の先にある錦川橋(クムチョンギョ)は太宗(テジョン)の時代の1411年につくられたもので、ソウルに残る最古の石橋のひとつといわれている。
また、国王が執務をしていた宣政殿(ソンジョンジョン)は、1647年に再建されたものだが、現在の宮殿に残っている唯一の青瓦の建物である。
景福宮が再建された後は、ふたたび、離宮の扱いとなり、1910年の日韓併合後は最後の皇帝となった純宗(スンジョン)の住まいとなった。
朝鮮式庭園の最高傑作として名高い秘苑(ピウォン)は、もともとは離宮の後ろにあることから「後苑(フウォン)」と呼ばれていたが、1623年に再建されたときには昌徳宮が「禁裏(クムリ)」となっていたため、その庭園という意味で「秘苑」と呼ばれるようになったという経緯がある。
広大な園内には、自然の地形にあわせて多くの東屋や人工池などがあるが、最も有名なのは芙蓉池(プヨンジ)と宙合楼(チュハブル)だろう。
宙合楼は、国の将来を担う人材を育てるために学問を研究し、書籍を出版していた2階建ての楼閣で、1階部分は本の収蔵場所として、2階は読書室として使われていた。しばしば観光パンフレットの写真などにも用いられているから、見おぼえがあるという読者もあるだろう。
さて、昌徳宮はユネスコの世界文化遺産にも登録されているくらいだから、季節を問わず、いつでも見る価値はあるのだろう。実際、僕も5月の連休中に訪れたたときには、十分に満足して帰ってきた。
ところが、後になって昌徳宮のチケットに印刷されている写真をよく見てみたら、紅葉の時期の宙合楼の写真(画面手前に見えるはずの芙蓉池はバーコードで隠れている)が印刷されていることに気がついた。
ということは、昌徳宮側としては、秋に訪れるのが一番のお勧めということなのだろう。そういうことなら、10月末から11月にかけての時期に、再訪してみる必要があるかなとおもいながら、昌徳宮の切手を探してみた。
すると、意外なことに、昌徳宮が切手に取り上げられる場合、どういうわけか紅葉の時期を外していることがわかった。
すなわち、2001年に発行された「世界遺産」の切手では、便殿(ビョンジョン)・宣政殿・玉座(オッチャ)の組み合わせと、正殿(チョンジョン)・仁政殿(インジョンジョン)の組み合わせの2種類の切手が発行されているが、背景の木々は青々としている。
昌徳宮を取り上げた最初の切手、すなわち、1964年5月25日に発行された「關閘(関門)シリーズ」の秘苑の切手でも、取り上げられているのは木々が青々と茂った初夏から夏の風景である。
これに対して、1995年に「韓国の美」シリーズで門扉が特集された際には、王の不老長寿を祈ってつくられたという不老門(プルロムン)と、宙合楼の魚水門(オスムン)が取り上げられたが、こちらは紅葉を通りすぎてしまって、雪景色が取り上げられている。
先週末、ソウルから東京にやってきた友人は「東京はまだ暑いんですねぇ。ソウルはすっかり寒くなってしまって、着るものが違いすぎて弱りましたよ」と嘆いていた。
ソウルの秋は短く、駆け足で過ぎていくと言われるが、その短い秋にタイミングをあわせて切手を発行するのが難しいがゆえに、昌徳宮の切手も夏か冬の景色になってしまうということなのだろうか。