◆江南地域開発のシンボル◆
韓国のソウルで、今月11・12日の両日、G20(20カ国・地域)首脳会合が行われた。G20のオープニングを飾ったのは、以前に本連載でも取り上げた国立中央博物館での歓迎夕食会だったが、会合の主会場となったのが江南・三成洞の韓国総合展示場、COEX(コエックス)である。コエックスは1979年にオープンした当時は、韓国総合展示場を略してKOEXと表示されていた。その証拠に、同年7月3日に発行されたオープン記念の切手にも、しっかりと「KOEX」の文字が入っている。
コエックスがオープンした当時、江南地区の開発は始まったばかりだった。1970年代半ば、経済発展に伴い急激な都市化・産業化が進んだソウルでは、それまでの四大門(東西南北の大門)を中心とした江北地域の人口が飽和状態となり、開発も限界に達したため、それまで漢江を南端としていたソウル地域(江北)を、漢江の南側、すなわち江南にまで拡大するというプランが自然発生的に立てられた。
コエックスの建設は、そうした江南地区の開発計画に先鞭をつけるもので、大根と白菜を主要な作物とする農村地帯に突如出現した巨大施設は、当時の人にとって大きなインパクトを与えたことだろう。なお、江南への交通アクセスは、この地域へのアパート建設に合わせて、1982年12月、地下鉄2号線第2期区間(総合運動場~教大間の5・5㌔㍍)が開通したことで一挙に改善された。さらに、1984年5月の地下鉄2号線(環状線)全線開通により、地下鉄2号線の江南駅は1日の利用者が15万人を数える巨大ターミナルとなり、駅周辺の開発が急激に進むことになる。こうして江南の開発が進み、貿易センタービル、現代百貨店、インターコンチネンタルホテルなどの施設が次々と作られると、コエックスそのものは高層ビルに囲まれてしまった。
コエックスと聞いて連想するのは、ソウルで開かれる国際切手展だ。ソウルで最初の国際切手展が開かれたのは、韓国での切手発行100周年にあたる1984年のことだったが、以来、ソウルで国際切手展が行われると会場はいつもコエックスだった。
僕が最初にソウルの国際切手展に参加したのは1994年のことだが、そのときはまだコエックスの表示はKOEXだった。ところが、2002年の切手展に行ったときは、KOEXだとばかり思っていた表示が、現在のCOEXになっていた。英文のスペルがCOEXになっても、発音はコエックスのままだったのだが、韓国では、「19世紀末まで韓国のローマ字表記は『COREA』であったが、日本が大韓帝国を植民地にする際に韓国(COREA)がアルファベット順で日本(JAPAN)の前に来ることを嫌い、アルファベット表記を『KOREA』に変更させた」と信じている人も少なくないという。ただし、実際には、1895年に大韓帝国が発行した切手(印刷は米国の印刷会社で行われた)の国名表示は、現在と同じくKOREAとなっていることからもわかるように、日本がコリアの頭文字をCからKに変えさせたというのは根拠のない俗説にすぎないのだが 。
結局、改称のほんとうの理由は、建物を国際会議場としても積極的に活用してもらおうということで、1998年に「Convention & Exhibition」を略して頭文字をKからCに変更したということらしい。実際、コエックスでは2000年秋にASEM(アジア欧州会合)第三回首脳会合の会場になったことで、世界的に知名度が高まったというから、この改名は結果的に成功だったということになるのだろう。
昨年、コエックスで行われた国際切手展に参加した時は、会場から徒歩5分、地下鉄の三成駅に近いレジデンス・ホテルに1週間滞在し、仕事の後、仲間と飲みに行った帰りに、宿の並びの近所の冷麺屋に入り、地元のサラリーマンに交じってタコの入った特製冷麺を一杯すすって帰るというのが定番コースだった。
今回のG20では会場周辺は厳戒態勢になっていたのだろうから、あの冷麺屋も商売あがったりだったにちがいない。G20でのコエックスの映像をニュースで見ていたら、急に、あの冷麺が食べたくなった。