ここから本文です

2012/07/20

<トピックス>切手に描かれたソウル 第24回 「世宗文化会館」                                                 郵便学者 内藤 陽介 氏

  • 郵便学者 内藤 陽介 氏

    ないとう・ようすけ 1967年東京生まれ。東京大学文学部卒業。日本文芸家協会会員、フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を研究。

  • 切手に描かれたソウル 第24回 「世宗文化会館」

    1978年に発行された世宗文化会館の開館記念切手

◆1978年開館、大統領選挙の舞台にも◆

 今月1日、忠清道に行政中心複合都市として世宗特別自治市が発足した。名前の由来は、いうまでもなく、ハングルを制定したことで知られる世宗大王である。

 世宗大王は韓国史上最高の偉人の一人とされているから、ちょっと探せば、韓国国内にはいたるところで“世宗”に出くわす。そもそも、1万ウォン札には彼の肖像が描かれているから、世宗に接することなく韓国で過ごすことはほぼ不可能だ。

 ソウル市内にも、世宗路があり、世宗の銅像は少なくとも3カ所(徳寿宮、光化門、汝矣島)に設置されているが、本稿のテーマである“切手に描かれたソウル”という点では、世宗文化会館を挙げることができよう。

 世宗文化会館は、地下鉄5号線・光化門駅の1・8番出口を出てすぐ、鐘路区世宗路にある複合文化施設。世宗大劇場、世宗Mシアター、世宗チェンバーホール、美術館などから構成されている。もともと、世宗文化会館の場所には、日本統治時代の京城市議会の議場があったが、朝鮮戦争を経て、1956年から新たに市民会館の建設工事が始まり、1961年11月に開館した。

 ちなみに、解放後、1954年までは、日本統治時代の1935年に太平通(現・太平路)に建設された京城府民館の建物がソウル市民会館として用いられていたが、こちらは、その後、1975年まで、国会議事堂として用いられた。

 さて、世宗路のソウル市民会館は、ソウルを代表する劇場の一つとして、1967年以降、年末の“MBC10大歌手青白戦(現・MBC歌謡大祭典)”の会場として用いられていた。ところが、1972年の“青白戦”放送終了直後、火災が発生し、市民会館は全焼してしまう。

 このため、市民会館の跡地に新たな文化施設を建設することになり、1974年から工事がスタート。1978年4月14日に現在の世宗文化会館の主要部分が、同年7月1日に追加部分が開館した。今回ご紹介の記念切手は、これに先立ち、4月1日に発行されたもので、文化会館の建物と河回仮面とバイオリンを組み合わせたデザインとなっている。

 ちなみに、この間の1975年には汝矣島に現在の国会議事堂が完成したため、それまで国会議事堂として用いられていた旧市民会館は、世宗文化会館別館となった。この建物が、現在のように、ソウル市議会の議場として用いられるのは、1991年以降のことである。

 さて、1978年7月に完全オープンとなった世宗文化会館の事実上の開館記念行事となったのが、維新体制下での大統領選挙である。

 1972年に公布された維新憲法では、大統領の任期は6年と規定されており、維新体制第1期の任期は、1978年12月で切れることになっていた。

 このため、1979年からの維新体制第2期に備え、まず、1978年5月18日、統一主体国民会議(以下、国民会議。)の第2期代議員選挙が行われる。
維新憲法によれば、大統領は国民会議による間接選挙で選ばれることになっていた。しかし、会議の代議員は政党への加入が禁止され、選挙運動でも政治的発言は制約されているなど、大統領にお墨付きを与える御用団体という性格が強く、野党や学生などの批判も強かった。

 選挙後の7月1日、国民会議の議長でもあった朴正煕は、第2期国民会議第1次会議を7月6日・7日の両日、ソウルの奨忠体育館と世宗文化会館で開催し、6日に第9代大統領選挙を行うと告示。予定通り、大統領に再選された。

 こうして、独裁権力を用いて維新体制の維持・継続に成功した朴正煕であったが、実際には、1年余り後の1979年10月26日、腹心の部下であった中央情報部長・金載圭によって暗殺されてしまう。もちろん、神ならぬ朴は、そうした自分の運命を知る由もないまま、第9代大統領に就任し、少なくとも、あと6年の任期をまっとうできると信じきっていたのだろうが…。