◆五輪の平和精神表現したモニュメント◆
ロンドン五輪は13日に閉幕してしまったが、ソウルで五輪にゆかりの場所といえば、やはり、1988年のソウル五輪に際して多くの競技が行われた蚕室地区の総合運動場とオリンピック公園ということになろうか。
このうち、オリンピック公園は、ソウル五輪を記念して造られた公園と説明されることが多いが、実際のこけら落としは、プレ五輪ともいうべき1986年のアジア・ゲームだった。
1988年のソウル五輪に際しては、敷地内の蚕室競輪場(自転車競技トラックレース)、体操競技場、レスリング競技場、フェンシング競技場、オリンピックテニスセンター、オリンピックホール、夢村土城(近代五種ランニング)が各競技の会場となり、大会終了後、これらを含む総面積約142万平方㍍の敷地が公園として整備された。
ソウル五輪当時は地下鉄2号線の蚕室駅を降りてオリンピック路を東へ歩き、公園南西の“平和の門”をくぐって競技場へ向かうというのが一般的なアクセスだったが、現在は、2号線蚕室駅のあたりからオリンピック路の下を通る地下鉄8号線の夢村土城駅で降りると“平和の門”のすぐ目の前に出る。
なお、地下鉄5号線にオリンピック公園という駅があるが、こちらで降りると敷地の南東、競技場が集めるエリアが近い。
さて、現在、8号線の夢村土城駅を降りると、いたるところにフィギュアスケートの金妍兒選手をはじめウインター・スポーツの巨大な写真が掲げられ、2018年に平昌で開催予定の冬季五輪のことが大々的に宣伝されているのが目につく。金妍兒の写真は国会議事堂内の“韓国の歩み”といったパネル展示にも登場するのだが、次のソチ五輪(2014年)で新たな韓国人金メダリストが誕生したら差し替えになるのだろうか。
新しいヒロインの誕生は歓迎すべきことであろうが、見慣れた金妍兒の写真が撤去されてしまったら、やはりさびしく思う人も多いかもしれない。
地下鉄の駅を出てトーテムポール風の柱が並ぶ広場を通って“平和の門”の前に立つと、なるほど、高さは24㍍、屋根の幅62㍍というその大きさを実感できる。かまぼこをひっくり返したような屋根の装飾は、遠目にはただ単にカラフルなモザイクにしか見えなかったが、真下で見ると、現代風にアレンジされた四神(青龍・白虎・玄武・朱雀)であることがわかる。門の真下には、消えることのない“平和の火”が灯されており、台座にはソウル平和宣言がフランス語・韓国語・英語の3カ国語で刻まれている。
1988年のソウル五輪に際して発行された記念切手では、門の後ろには何も描かれていないが、実際には、五輪開催を祝うモニュメントが建てられており、その周囲には万国旗が掲げられている。
おそらく、五輪の開会後に設営されたもので、切手の制作時期にはまだなかったのだろう。
なお、モニュメントは東西の融和の始まりとオリンピックの平和精神を表現したものということで、足元の碑文には当時の大統領、盧泰愚の名前も刻まれている。
ロンドン五輪の男子サッカーで日本との3位決定戦に勝利した後、韓国チームの朴鍾佑が「独島は我々の領土」と書かれた紙を掲げてグラウンドを走り回った。
これについてIOCがメダルの取消を検討しているのは、彼の主張の当否以前に、五輪に領土問題という政治を持ち込むことが、そもそもモニュメントにも刻まれた五輪の精神に違反するからに他ならないのだ。