◆高麗、朝鮮王朝時代の最高教育機関◆
9月28日は孔子の誕生日を陽暦に直した日で、成均館大学校の大成殿では、釈奠大祭が行われる。
孔子の誕生日を祝うイベントは、東アジアの儒教文化圏では幅広く行われているが、中でも、成均館の釈奠大祭は古い時代の形式がよく保存されているのが特徴だという。
成均館は、もともと、高麗王朝の最高教育機関であった国子監で、1298年に成均監、1308年に成均館と改称された。高麗時代の成均館は開城(高麗の首都で、現在は北朝鮮の支配下に置かれている)にあり、その跡地は、北朝鮮の高麗博物館が置かれている。
さて、1392年、朝鮮王朝が建国され、首都が漢城(ソウル)に移されると、1398年、成均館も首都に移転し、崇教坊(現在の鐘路区明倫洞)に新たな学舎が建設された。
敷地内のメインの建物である文廟は、孔子とその直弟子、さらに、中国・朝鮮半島の偉大な儒学者の位牌を奉納した祠堂で、正殿である大成殿と左右の東廡・西廡、そして三門から構成されている。
このほか、敷地内の主な施設としては、明倫堂(講義室)、東斎・西斎(学生寮)、尊経閣(図書館)などがある。
1398年の建物は、わずか2年後の1400年に火災で焼失。1407年に再建されたものの、16世紀末の文禄・慶長の役で焼失してしまった。ちなみに、開城の高麗博物館の前には「壬申祖国戦争(文禄・慶長の役)で日本軍に破壊されたものを再建し 」との北朝鮮当局の説明板が掲げられているが、ここで問題になっている建物は高麗時代のもので、成均館がソウルに移転した後は、地元の地方教育機関として利用されていたものである。
文禄・慶長の役の後、成均館の儒者やOBの官僚たちは資金を集め、まず、1601~02年に大成殿を再建。ついで、1603~04年に東廡、西廡、神門、中門を、1606年に明倫堂と東齋、西齋を再建した。現在の建物は、1869年の大補修を経てのものである。
日本でも放送された韓国ドラマ『トキメキ☆成均館スキャンダル』は、正祖(在位1752~1800)の時代という設定なので、17世紀初めに再建された後の建物が舞台だ。
高麗時代、成均館の学生定員は150人だったが、朝鮮王朝時代の1429年に200人になった。入学するためには科挙(小科)に合格することが必要で、学生たちは科挙の大科受験を目指して勉学に励んだ。なお、生活の手段として、彼らは寮生活をしながら、学田と奴婢を与えられていた。
「成均館建学600年」の記念切手は、1998年9月25日、釈奠大祭の時期に合わせて発行されたものだが、釈奠大祭の会場となる正殿の文廟・大成殿ではなく、講義が行われていた明倫堂が大きく描かれている。やはり、教育機関としての性格を考えると、切手に取り上げるのは、こちらの方がふさわしいと判断されたのだろう。
切手では建物の背景に銀杏の木が描かれているが、このように黄葉するのは一カ月以上先のことだ。
なお、成均館は1895年、高宗の勅令で近代教育制度が適用されることになり、その性格が大きく変化した。
さらに、日本統治時代の1911年に經學院となり、解放後の1946年、旧朝鮮王朝時代の最高教育機関を継承するものとして、成均館大学が設立された。これが、1953年に大学校に昇格し、現在の成均館大学校となる。
ちなみに、成均館大学校は、1979年、あらたに水原キャンパスを新設したが、まさか、その当時は、水原華城を建設した正祖の時代の成均館が、時代劇ドラマの設定に使われることになるとは想像だにしなかっただろう。