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2013/10/04

<トピックス>私の日韓経済比較論 第33回 公約修正は国家のため                                                      大東文化大学 高安 雄一 教授

  • 大東文化大学 高安 雄一 教授

    たかやす・ゆういち 1966年広島県生まれ。大東文化大学経済学部社会経済学科准教授。90年一橋大学商学部卒、同年経済企画庁入庁、00年在大韓民国日本国大使館二等書記官、00~02年同一等書記官。内閣府男女共同参画局などを経て、07~10年筑波大学システム情報工学研究科准教授。2013年より教授。

◆経常赤字回避へ、朴大統領の判断妥当◆

 10月1日付の日本の新聞に、「朴槿惠大統領、支持率に陰り」との記事が掲載された。朴槿惠大統領は公約として、全ての65歳以上の高齢者に毎月20万ウォンの年金を支払うとしていたが、これを撤回して、対象を70%に絞り、所得に応じて支給額にも差を設けることとした。これにより、大統領の支持率に陰りが出るとともに、保健福祉部長官も引責辞任した。

 対象を絞り、金額に差が付けられるといっても、65歳以上の70%に最大20万ウォンを支給するのであるから、公約が修正されたからといって、大盤振る舞いには変わりないのではと考えるのは早計である。公約で掲げられた年金は全く新しいものではなく、既存の基礎老齢年金の対象を広げるとともに、金額を高めたものである。基礎老齢年金の支給対象は既に65歳以上の70%であるので、公約修正後の年金は現在から変化がない。

 基礎老齢年金の支給額は、単身世帯で最大9万4600ウォンであるので、最大支給額は倍増しているとは言えるが、基礎老齢年金の支給金額を少し増やした程度の年金になってしまった。

 大統領の支持率と保健福祉部長官の首といった代償を払った公約修正であるが、筆者は韓国のためには極めて妥当な判断であったと評価したい。公約で掲げられた年金に必要な費用は年間17兆ウォンである。これも含めて、朴槿惠大統領の公約を実現するために必要な費用は、5月31日に公表された「朴槿惠政権国政課題履行のための財政支援実践計画(公約家計簿)」によれば、6兆3000億ウォンである。そしてこの財源と言えば、公共投資等の歳出削減や補足強化による税収増等である。

 日本でも「こども手当」の財源は無駄の削減と言っていたが、緊縮財政を基調としている韓国の歳出の中に、それほど大きな無駄が転がっているとは思えない。補足の強化は過去に成功例がある。2000年代に韓国政府はクレジットカード促進策を打ち出した。クレジットカードを使うほど所得控除を受けられるとしたもので、人々は少額の決済もクレジットカードで行うようになった。この政策は消費刺激が目的と言われることもあるが、これは間違いである。クレジットカードの使用を促進すれば、小売業等の売り上げが表に出る。これによって所得の捕捉率を飛躍的に高めることに成功し、法人税収が伸びた。確かに成功例はあるが、二匹目のドジョウがいるかは不透明である。

 2012年の韓国の国家債務はGDPの34%であり、OECD加盟国の中でも優等生である。よって朴槿惠大統領の公約を実現して、国民に少々大盤振る舞いしてもいいのではと考える人もいるかもしれない。

 しかし大盤振る舞い、特に高齢者向けの政府支出増は韓国経済の命取りになりかねない。韓国の高齢化は2020年頃、朝鮮戦争後のベビーブーム世代が順次65歳になる頃から急速に高まる。65歳以上人口比率は現在、日本が韓国より10%以上高い。しかし2060年頃には韓国が日本に追い付く。これによって韓国経済は様々な問題に直面することになる。

 その一つとして、経常赤字になりやすくなることを挙げることができる。マクロ経済の観点から見ると、経常赤字は投資が貯蓄を上回ることにより発生する。97年に発生した通貨危機まで韓国は慢性的な経常赤字に悩んでいた。これは企業部門の投資超過幅が大きく、全体で投資が貯蓄を上回ったからである。通貨危機後は企業部門が投資に慎重となったため、貯蓄が投資を上回るようになり、経常黒字が定着した。しかし高齢化が進むと家計部門の貯蓄超過幅が縮小する。一般的に高齢者は貯蓄を取り崩し生活することから、高齢者の比率が高まれば家計部門の貯蓄超過幅が低下するのは当然であろう。よって高齢化になれば投資が貯蓄を上回る、すなわち経常赤字になりやすくなる。

 このような中、政府部門も大盤振る舞いをして財政赤字が続けば、経常赤字は避けられなくなるであろう。そうすれば、97年に韓国経済を襲った通貨危機が再来しかねない。

 そもそも朴槿惠大統領は、福祉を拡大する公約をするべきではなかったが、これを撤回したことは、短期的には批判されても、長期的には英断であったと評価されるのではないか。