ここから本文です

2013/02/22

<トピックス>中国・延辺社会福利院を訪ねて                                                         大同クリニック 姜 健栄 院長

  • 中国・延辺社会福利院を訪ねて①

                     姜 健栄 院長

  • 中国・延辺社会福利院を訪ねて②

    第三院に入所している子供たち

  • 中国・延辺社会福利院を訪ねて③

    第四院の施設棟

  • 中国・延辺社会福利院を訪ねて④

 在日の姜健栄・大同クリニック院長が昨年、中国・延辺社会の延辺社会福利院を2回にわたって訪問し、交流した。その報告を紹介する。

 昨年、2度にわたって延辺州で最も大きい延辺福利院(日本式では延辺福祉施設と呼ぶ)を訪れた。訪問目的は日本や韓国で調査を行った高齢者福祉施設と中国との相異を比較することにあった。

 延辺社会福利院は、1952年に建設された国営の養護施設である。延辺朝鮮族自治州である延辺州の民政国傘下(吉林省)では、一級の社会福利事業団である。土地面積6・6万平方㍍、建築面積2・6万平方㍍、総ベット数800からなり、4分院から構成されている。

 ここでは週6日間の温水シャワーが可能であり、医務室、物理療法室、マージャン室、卓球室、書道・絵画室等が設置されている。総じて合理的なサービスを行い、個々人の心理支援と多彩な老人活動を組織し、老後生活をより豊かにしてあげている。

 この福利院の案内文を次に挙げてみた。

 「主要な責務は朝鮮自治州8県下で3無(①頼る所なし②家なし③生活財源なし)の独居老人や孤児、孤児障害者、身体障害者等、社会の弱者たちをこの施設に収容し支援を行って社会的自立ができるよう援助することにある」

 延辺社会福利院が高齢者のために『全身全霊を尽くす』という強い意図が伝わってくる。
 
 院長は金雷声氏。施設の庭園には花畑があり、その一角に李朝時代を髣髴させる朝鮮式亭子(あずまや)があった。10人ほどの老人たちが座ってのんびり話をかわしている様子が見えた。このような亭子は仁川のサハリン帰国老人福祉会館にもあった。中国政府の少数民族政策により、朝鮮族のみならず一部の漢族までもが朝鮮語を話していた。延辺自治州には朝鮮の言語をはじめ固有の文化がよく保存されており、近現代朝鮮の「情」や「隣人愛」等が朝鮮族の中に今なお残されているのを感じた。

 08年開設の第三院は、延辺児童福祉院として敷地面積3200平方㍍、建築面積3400平方㍍に達し、150床のベッドを保有。

 4、5階には、自立能力が比較的高い児童たちを主とした音楽室と活動室がある。
6階は児童音楽室と多目的区域として、多くの子供達に、遊技、娯楽を楽しませるだけでなく、台本を作って練習したり、室内活動も行うことができる。多目的区域内に児童生活、娯楽、教育、回復、医療等の専用及び専門の施設が備えてあって、孤児や障害児たちの生活、学習、リハビリ、医療の需要を満たしている。

 子供たち全員が、皆、常に家庭の温かさを感受できるよう、今年から、“親子養育方式”を実施し子供たちに“母親の愛が一番温かい”と感じさせている。例えば、職員が母親となり、子供一人あるいは数名を受け持って、目標性あるように施与し、成長過程において子ども心を満足させている。

 子供たちの低い抵抗力や健康水準を改善するため“3浴(空気浴、日光浴、水浴)”を実施する一方、気候状況に従って適度な野外活動時間を調整してきた。不同年齢、発育状況、疾病需要に対応して、科学的分析を進行させる。合理的な養育方法と医療方案を制定したが、追跡検診、適時的調整によって生活発育の促進、疾病統制及び、回復効果を実現させている。

 学齢期の子供たちには、できるだけ正規教育が受けられるよう支援し、学校へ行けない知的障害の子供たちには、特殊教育と情感教育とを合併した方式に着眼し、趣味性を強調した簡単な文化科を受講させている。また、遊技を広げる方式で彼らに礼節を学ばせ、簡単な生活常識を教えて、相互を尊重しながら、情感関係が立てられるよう導いた。障害程度の軽い子供たちには、手工科や機能養成科を増やし、能力向上に努めている。

 第四院は八浦江分院と命名し、その前身は延辺社会福利院の分院である。07年12月6日、延吉市依蘭鎮荒区から現地に移転した。入所対象者は、“3無“人員の中の知的障害者グループである。生活回復区には、150のベッド、48の部屋が設置されているが、男性、女性及び障害者の3養成区域となっている。

 副業生産区域には、8㌶の野菜農園と、2㌶の果樹園があり、院内の部分的野菜供給の解決になっている。緑地山荘の総敷地面積は、1990㌶であり、鹿の飼料供給と牛や羊の家畜放牧の主要基地となっている。

 筆者が龍井から山奥にある四院を訪れた時、水たまりのある、細い山道を車で登って行った。多くの障害者たちは、施設周辺にあるトウモロコシ畑や野菜畑で農作業をしたり、近くの川で遊んでいた。

 知的障害者を山里の福祉施設に収容させ、大自然の畑や川で、自由に行動させ、作業させるのも、一つの治療法だと思われた。

 中国・延辺州には、現在の韓国や日本の社会から失われつつある、朝鮮民族固有の伝統、風習、思いやりなどが残されているようだった。

 延辺自治州創立60周年を記念して中国・東北地方で最も広い中国朝鮮族民俗園が延吉市郊外に建設中だったが、筆者はそこを見学することが出来た。

 また、北朝鮮国境の豆満江に接した中国の図們江彫刻公園も訪れた。その彫刻作品には中国朝鮮族の風俗、伝統文化、人物像や民族衣装などがよく表現されていたが、このような近代民族公園は、ソウルにおいてもまれであると思われた。