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2013/07/19

<トピックス>切手に描かれたソウル 第35回 「ソウルW杯競技場」                                                 郵便学者 内藤 陽介 氏

  • 郵便学者 内藤 陽介 氏

    ないとう・ようすけ 1967年東京都生まれ。東京大学文学部卒業。日本文芸家協会会員、フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を研究。

◆2001年11月、経済危機を乗り越えて完成◆

 ソウルでは7月20日から28日にかけてサッカーの東アジアカップが開催される。

 日本代表は男女ともに出場し、注目の日韓戦は女子が27日午後8時から、男子が28日午後8時から、いずれも蚕室総合運動場(いわゆるオリンピック・スタジアム)で行われる予定だが、今回の大会で最も世界的に注目を集めそうなのが、21日午後6時15分にワールドカップ競技場でキックオフとなる女子の南北戦であろう。

 ちなみに男子の北朝鮮代表は2012年12月に香港で行われた予選2次ラウンドで敗退しており、今回はソウルでの試合はない。

 南北戦の会場となるワールドカップ競技場は麻浦区城山洞にあるが、もともと、隣接する上岩洞の蘭芝島ゴミ処分場(1993年に閉鎖)跡での建設が予定されていたため、現在でも“上岩”と呼ばれることがある。

 ちなみに上岩洞には、現在、広大なワールドカップ公園が作られている。

 ワールドカップ競技場は、もともと、2002FIFAワールドカップのために建設され、2001年11月に完成した。収容人員の6万6806人というのは、サッカースタジアムとしては、アジア最大の規模である。2002年日韓大会の開催は、1996年5月に決定されたが、その後、韓国の経済低迷によって、日本単独開催の可能性もあった。1997年後半、アジア通貨危機に巻き込まれた韓国は経済危機に陥り、IMFの管理下に入ったためである。

 しかし、その後は、日本を中心としたIMF経由の金融支援や金大中政権による財閥解体などの構造改革によって、大量の失業者は発生したものの、経済は急速に回復し、なんとか、韓国の開催返上は避けられる見通しとなった。

 ただし、経済危機からの脱却は、対米輸出に大きく依存したものであったため、2001年9月に米国で同時多発テロが発生し、対米輸出が大幅に減少すると、韓国経済は再び失速。この結果、韓国でのスタジアム建設も大きく滞ることになる。

 ワールドカップの韓国での大会開催都市は、日本と同じ10カ所。国内の大都市(ソウル特別市と国内6カ所の広域市)を網羅していたが、地域対立を煽らないようにとの配慮から、人口の少ない江原道を除いて全国に万遍なく配置した結果である。

 もっとも、当時の韓国の国家規模は、人口では日本の約4割、GDP(国内総生産)では日本の約6分の1しかない。したがって、日本と同じスケールでスタジアムを建設し、整備するのは、韓国経済が好調なときであっても国力に比して大きな負担であり、ましてや、経済状況が落ち込んでいるとなれば、客観的に考えれば無謀ではあった。

 しかし、2001年9月の同時多発テロ事件の時点では、すでに大会開催まで1年を切っており、チケットの販売も始まっていた。もはや、開催地の変更は不可能である。

 このため、日本政府は、韓国での大会開催は韓国経済回復の起爆剤になるとの判断から、30億㌦を韓国に融資。この資金によってスタジアム建設が続けられ、日韓共催も実現にこぎつけたというわけである。

 ワールカップに先立ち、韓国郵政は2000年11月24日、ソウルのワールドカップ競技場の完成予想図を描く記念切手を発行したが、上記のような経緯を考えると、ともかくも切手に描かれたスタジアムが幻に終わらずに済んだことに、関係者も安堵したに違いない。