◆1784年初の洗礼者・朝鮮王朝時代弾圧、1876年布教許可◆
14日からローマ法王フランシスコが韓国を訪問している。フランシスコのアジア訪問は昨年3月の法王就任後初めてのことで、ローマ法王の訪韓としては1989年の故ヨハネパウロ2世が2度目の訪韓(最初の訪韓は1984年)を行って以来のことである。
一般に、韓国におけるカトリックの歴史は、1784年、外交使節の一員として北京に派遣された李承薫が、かの地で教理を学び、洗礼を受けて帰国したことにはじまるとされている。ただし、李承薫が最初に礼拝所を建設したのはソウルではなく平壌だった。
朝鮮王朝時代、〝天主教(=カトリック)〟はながらく邪教として弾圧されていたが、1876年の開国に伴い、欧米諸国との外交上の必要から、キリスト教の禁止は解除された。この結果、韓国内でも、新たにプロテスタントの宣教師も加わって新旧キリスト教の宣教が本格化。朝鮮王朝末期の1890年から1910年にかけて、カトリックとプロテスタントを合わせた全クリスチャン人口は1万7842名から24万869名へと飛躍的に増加した。
日本統治時代には、プロテスタントが総督府との対決姿勢を鮮明に打ち出したのに対して、カトリック側は総督府に対して融和的な姿勢をとっていた。たとえば、伊藤博文暗殺犯の安重根は熱心なカトリック信者であったが、暗殺事件の後、韓国のカトリック教会は、日本への配慮から、事件を非難し、安の信者としての資格を剥奪した。
つづきは本紙へ