◆日韓パートナーシップ精神再び、両国は〝コト〟のビジネス競争を◆
桜は、ぱっと咲いて、ぱっと散る。京都は、10日間のうちに、桜を愛でる人、人、人で溢れかえり、ソメイヨシノが散ると同時に静かになった。過日、観光客が少なくなった自宅近くの山科・毘沙門堂のしだれ桜をじっくりと鑑賞した。日本人でよかったと思える一時だった。
韓国でも、鎮海や汝矣島の桜並木が有名で、何度も訪問した。町全体が桜とケナリ(れんぎょう)に包まれる南部の工業都市・昌原の春にも圧倒された。今年の春も、名所に大勢の人が花見に繰り出している様子を画像で見て、韓国人も桜好きだと実感した。
日本人は「花は桜木、人は武士」(一休宗純、室町期の禅僧)の文化遺伝子を受け継いでいて、「満開の桜のはなやぎと散る桜のいさぎよさ」を、自分達の心情に重ねて桜を愛でる。
韓国人が桜を楽しむようになったのは近年のことというが、どんな心情なのだろう。私と同年配の韓国人は、「ケナリやチンダレ(朝鮮つつじ)の方が春らしい」と話してくれたが、桜は三番手なのだろうか。
日本人の花見の花は、奈良期の中国伝来の梅が最初で、平安期に桜に変わったという。貴族達の風流な楽しみだった。室町期になって、武士や町人も桜の花見に加わった。室町期・江戸期の洛中洛外図の多くに、満開の桜が描きこまれている。屏風絵として多くの大名が欲しがった。
「花より団子」の花見酒は、江戸期の庶民が始め、経済の繁栄を謳歌した元禄(1688~1703)に全国に拡大したという。それが現在まで続いている。日本では花見しながら宴会し、韓国では花見の後に酒を飲む。しかし、日本列島と朝鮮半島で、厳しい冬を過ごした後の春の暖かさを、桜に託して祝祭する人々の情緒は共通している。
日本と韓国の、1965年の国交正常化以来最悪といわれる歴史認識の対立が続いている。どちらが正しいのか、という白黒のつけ方は間違いだ。双方のマスコミ報道は一方的な正邪論争が多く、相互に反感を増幅させている。
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