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2015/10/09

<トピックス>切手に見るソウルと韓国 第60回 浦項総合製鉄                                                         郵便学者 内藤 陽介 氏

  • 郵便学者 内藤 陽介 氏

    ないとう・ようすけ 1967年東京都生まれ。東京大学文学部卒業。日本文芸家協会会員、フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を研究。

  • 切手に見るソウルと韓国 第60回 浦項総合製鉄

               浦項総合製鉄・竣工記念切手(73年)

◆68年浦項総合製鉄創立、73年工場竣工◆

 韓国の鉄鋼最大手ポスコといえば、9月30日、変圧器などに使われる方向性電磁鋼板の製造技術を不正取得したとして新日鉄住金が損害賠償支払いなどを求めていた訴訟で、新日鉄住金側に300億円の和解金を支払ったことが話題になったばかりだが、5日には、李明博前大統領の実兄で韓日議員連盟会長を務めた元国会議員、李相得氏が同社との取引をめぐる不正資金疑惑で取り調べを受けたという。

 ポスコの前身は、1968年に国策会社として設立された浦項総合製鉄株式会社である。

 韓国が巨大製鉄所の建設を検討するようになったのは、1966年に訪米した朴正熙大統領が現地の製鉄工場を視察して以来のことといわれている。

 その後、「鉄は国家なり」と考えた朴正熙は、地元・慶尚北道の港町、浦項の広大な荒地に目をつけ、1968年4月1日、国策会社として浦項製鉄株式会社として創立。軍出身で首相経験者の朴泰俊を社長に据えて、製鉄所の建設に本格的に乗り出した。

 製鉄所の規模は、ソウル・汝矣島の3倍に達する891万平方㍍の敷地に、道路の長さだけで80㌔㍍を超えるという巨大なもので、1970年4月に着工された。工事費の総額は1215億ウォン。これは、1970年6月に開通した京釜高速道路の建設費用の約3倍に相当する額である。

 当然のことながら、これだけの巨大プロジェクトであったため、韓国側にとって資金調達には相当の困難が伴った。しかも、重化学工業の育成を急ぐため、浦項製鉄所のプロジェクトと併行して、麗水の石油化学プロジェクトが行われていたこともあり、日本の通産省(当時)に協力を求めて陳情に訪れた関係者が、日本側の担当者から「万博と五輪を同時にやるようなもの」と揶揄されたこともあったという。


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