◆1945年2月福岡刑務所で獄死、抵抗詩人として高く評価◆
韓国の国民的詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ)が1945年に日本で亡くなってから70年になるのに合わせ、今月14日、彼が留学していた立教大で、彼の代表作「序詩」尹東柱の詩に曲をつけた合唱曲が披露されるという。尹東柱は、1917年、間島(現・中国吉林省延辺朝鮮族自治州)の明東村でクリスチャンの家庭に生まれた。
幼少時には龍井(吉林省東南部)、平壌などを転々とし、1938年、ソウルの延禧専門学校(現・延世大学校)に入学。在学中の1940年、〝平沼東柱〟と改名し、1941年12月に延禧専門学校を卒業した。
尹東柱は中学時代から詩作を行っていたが、延禧専門学校の卒業時に自選詩集『空と風と星と詩』の出版を計画した。しかし、商業出版としては難しかったことから、小部数のみを私家版として制作し、親しい友人に配布した。詩集の冒頭に置かれた「序詩」は彼の代表作のひとつ。日本語訳として最も評価が高い宇治郷毅の訳によれば、以下のとおりである。
死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥なきことを
葉かげにそよぐ風にも
わたしは苦しんだ
星をうたう心で
すべて死にいくものを
愛さなくては
そしてわたしに与えられた道を
歩みゆかねば
今夜もまた星が風に
ふきさらされる
さて、延禧専門学校を卒業した尹は、1942年、日本に渡って立教大学に入学。来日後まもなく「たやすく書かれた詩」など5編を友人に送っている。その後、同年9月には京都に移って同志社大学に入学したが、在学中の1943年7月、治安維持法違反の容疑で逮捕された。
なお、しばしば、尹の逮捕については、韓国語での詩作が治安維持法に違反したためという説明がなされることがあるが、実際には、韓国語の使用(だけ)を理由に治安維持法違反で逮捕されることはなく、尹の場合も、友人に対して、日本の朝鮮総督府の政策を批難したり、韓国独立の必要性を訴えたりしたことが、「民族意識の鼓吹・民族運動の煽動」にあたるとして、逮捕容疑とされたのである。
その後、1944年2月に尹は従弟の宋夢奎と共に起訴され、同年3月、懲役2年の判決をうけて福岡刑務所に収監された。しかし、翌1945年2月16日、27歳の若さで獄死した。
こうして、生前はほとんど無名のままに終わった尹東柱だが、解放後の1947年、ソウルの京郷新聞に「たやすく書かれた詩」が紹介されたのを機に、翌1948年、詩や散文を集めた『空と風と星と詩』が刊行され、一躍、その名を知られるようになった。
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