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2016/01/15

<トピックス>明治期外交官・若松兎三郎と韓国:共生のための苦悩 第21回                                   大東文化大学 永野 慎一郎 名誉教授

◆木浦の港が対日輸出の拠点に、韓国人官吏と日本領事が対立◆

 1897年の木浦の開港によって、日本との関係が緊密になった。日本は全羅南道地方で生産される米や綿花などを日本に輸送するための対日輸出拠点として位置付けた。新しいビジネスチャンスを求めて、日本の商人が木浦に集まり、輸出商の木浦商話会と輸入商の木浦雑貨商組合が組織された。

 1900年に二つの組織が統合して木浦日本人商業会議所となり、木浦港の貿易業務を担当し、埠頭における貨物積載、荷役運搬船経営、運送業、倉庫業など関連業務をすべて独占した。当時木浦には日本人中心に木浦組、八頭司組、長門組などの仲仕組があり、労働請負業務を行った。


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