◆紛争終結し、商取引も正常化へ 若松領事の経歴に汚点残す◆
若松兎三郎領事が1903年11月21日深夜の出来事について京城公使館に報告しなかったことは、それなりに理由があった。当時日露間の風雲が緊迫していつ国交断絶になるか分からないような状況で、公使館は昼夜区別なく多忙を極めていた時期であり、また木浦の労働者騒動事件は常時発生し、その都度解決した。この時も地方で解決できる自信があった。
国家の重大問題に対処している公使館にこのような地方問題を提起するのは適当ではないと判断した。
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