◆統監府設置で、木浦理事官に転任 植民地化進み、若松の意見通らず◆
1905年11月の第2次日韓協約の調印により、京城に統監府が設置され、伊藤博文統監のもとで統監政治が始まった。その結果、駐韓公使館および領事館が廃止され、組織替えが行われた。木浦領事館は木浦理事庁に再編された。外務省所管の外交官身分の若松兎三郎は木浦理事庁理事官に転任となった。
若松が木浦領事在職時、管轄の全羅南道地方における農事改良、棉作の奨励、天日製塩など産業開発に熱心であり、現地の人々からの評判が高かったことから、統監府上層部において若松の実績を評価し、木浦理事官への転任の勧誘によるものであった。
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