◆26年の朝鮮勤務終え、京都に戻る 母校・同志社大学の発展に尽力◆
1902年7月、木浦領事に着任してから25年、1896年3月から1年間の京城公使館勤務を合わせると、26年間の朝鮮勤務であった。
振り返ると人生の最も働き盛りの時期に朝鮮の人々との関わりを持った仕事が大部分であった。京城を振り出しに、木浦、元山、平壌、釜山、仁川という主要都市において、日本による植民地支配という状況の中で外交官としてまたは高級官吏として働きながら、多数の人と触れ合いながら生活した。
外交官としての勤務が朝鮮との縁の始まりであったが、これは若松にとっては運命のようなものであった。
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