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2016/10/14

<トピックス>明治期外交官・若松兎三郎と韓国:共生のための苦悩 第30回                                   大東文化大学 永野 慎一郎 名誉教授

◆アービン夫人の寄付で建設した京都・朝鮮人協会の使用許可支援◆

 戦時中、在日朝鮮人は警察官に圧迫されて進退の自由を失っていた。やむを得ない要務により、一時的に朝鮮に帰った人が、日本に家族が残っていても再び日本に戻ることは許されなかった。そういう時に、多くの朝鮮人が若松のところに来て、官憲に取り成してくれるよう依頼した。若松は人道上のこととして、知事や警察部長のみならず、処々の警察署に出頭し、事情を説明して再来できるように取諮った。

 当時、在日朝鮮人渡航管理制度があり、「内鮮一体」と言いながら、日本に来ている朝鮮人は故郷への自由往来が事実上制限されていた。「一時帰鮮証明」を警察当局が交付していたが、一時帰鮮証明は支障なしと認められるものに限り、就業地所轄警察において下されたもので、交付の手続きは帰国前の雇用主の下において同一職業に従事することを宣誓し、雇用主連署の上就業地所轄警察署に写真二枚を添付して申請する仕組みであった。再来日の期限は1カ月以内(のちに2カ月)。


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