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2016/03/11

<トピックス>切手に見るソウルと韓国 第65回 韓国・華厳寺                                                         郵便学者 内藤 陽介 氏

  • 郵便学者 内藤 陽介 氏

    ないとう・ようすけ 1967年東京都生まれ。東京大学文学部卒業。日本文芸家協会会員、フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を研究。

  • 切手に見るソウルと韓国 第65回 韓国・華厳寺

    華厳寺の高台から智異山を望むデザインの切手(1964年)

◆百済時代に創建、新羅時代に石塔も◆

 全羅南道の智異山麓の求禮郡で、毎年恒例の山茱萸祭りが、今月19日から27日まで開催される。

 山茱萸(サンスユ、春小金花)は、止血、解熱作用があり、強精薬にも使われるだけでなく、その花は春の到来を告げるものとして朝鮮半島では古くから親しまれてきたという。

 求禮は、その山茱萸の韓国内での栽培の6割以上を占める特産地で、それゆえ、毎年この時期には山茱萸祭りが行われるのだが、僕を含め、多くの日本人にとっては、そもそも、山茱萸自体がなじみの薄い植物なので、イメージがわきづらいのではないかと思う。

 むしろ、僕などは、求禮というと、智異山麓の名刹、華厳寺を連想する。

 伝承によれば、華厳寺は、百済時代の544年、縁起祖師が創建し、その名は『華厳経』に由来するという。

 その後、643年に慈蔵律師が増築し、670年には、新羅における華厳宗の開祖とされる義湘祖師が丈六殿(現覚皇殿)を建て、『華厳経』を石に刻んで壁にめぐらした。

 朝鮮王朝時代の仏教弾圧政策により、一時廃寺に追い込まれたが、世宗の時代の1424年になって禅宗18寺の一つとして存続を許されることになった。

 文禄・慶長の役の際に焼失したが、1630~36年、碧岩禅師によって再建された。また、日本統治時代の1924年には、1911年に朝鮮総督府が指定した〝朝鮮三十本山〟に追加され、これにより、朝鮮三十本山が朝鮮三十一本山になったことでも知られる。

 華厳寺には、現存する木造建築物としては韓国最大規模のものであり、朝鮮王朝の粛宗(在位1674~1702)の時代、王を覚らせたとの意味で命名された〝覚皇殿〟をはじめ、国宝4点、宝物5点、天然記念物1点、地方文化財2点が保有されている。

 華厳寺を取り上げた切手としては、1964年、第1次刊行シリーズの1枚として発行された9ウォン切手が最初である。

 この切手は、境内西北の高台から智異山を望むデザインで、右側には、供養石燈が見える。

 供養石燈は、華厳寺を開山した縁起尊者が「偏袒右肩、右膝着地」の姿勢で頭に石燈をのせている形を表現している。


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