◆瞑想姿を表現した「半跏思惟像(はんかしゆいぞう)」◆
日韓でそれぞれ国宝に指定されている仏像の半跏思惟像を1体ずつ共同で展示する〝韓日国宝半跏思惟像の出会い〟展が、先月24日からソウルの国立中央博物館で始まり、奈良・斑鳩の中宮寺の本尊、菩薩半跏像と韓国の国宝78号の金堂半跏思惟像(奈良・広隆寺の弥勒菩薩と似ていることで有名な国宝83号とは別の像)が並んで展示された。そして6月21日から7月10日までは、会場を日本の東京国立博物館に移して、2体の仏像が並んで展示される予定だ。
そもそも、菩薩はサンスクリット(インドの仏典の言語)のボーディサットヴァを音訳したもので〝悟りを求める人々〟の意。悟りを目指して修行し、如来(悟りを開いた者)になる以前の者を指す。ただし、大乗仏教の発展に伴い、すでに悟りを得た如来の化身として人々の救済にあたるケースもある。仏像としては、釈迦が出家する以前の例にならい、古代インドの貴族の姿を表現したものが多い。
サンスクリットで〝マイトレーヤ〟と呼ばれる弥勒菩薩は、釈迦の次に如来となることが約束された最高位の菩薩で、釈迦の入滅後、56億7000万年後の未来に姿を現し、多くの人々を救うとされている。
ところで、展覧会の名称にも含まれている〝半跏思惟像〟というのは、椅坐して左足を下ろし、右足を上げて左膝上に置き、右手で頬づえをついて瞑想する姿を表現した仏像で、日本では弥勒菩薩像と言えば、この像容を連想する人も多いと思う。たしかに、朝鮮半島ならびに日本の古い時代の弥勒菩薩像は、おおむね、半跏思惟像である。
ただし、諸外国にも目を転じてみると、全ての弥勒菩薩像が半跏思惟像なわけではなく、インドでは水瓶を手にする像が作られていた。イスラム原理主義者のターリバーンによって破壊されたアフガニスタン・バーミヤーンの巨大石仏も弥勒菩薩像として建立されたもので、そうした流れを汲むものと見てよい。
また、唐代以前の中国では足を交差させ椅子に座る像もつくられているし、朝鮮半島でも、高麗時代の10世紀に建立された論山市・潅燭寺の弥勒菩薩像(韓国最大の石仏として知られる)は、当時の風俗を反映して、細長く伸びた頭と角帽のような2段の宝冠をかぶった立像という独特の風貌になっている。
さて、国宝78号の半跏像は、高さ82㌢の金銅製で、宝冠の上に三日月と丸い太陽を載せた日月飾の装飾は、イランのササン朝の王冠から由来したものと考えられている。この宝冠が像の特徴となっているため、国宝78号は〝日月飾三山冠思惟像〟と呼ばれることもある。
また、国宝78号の身体表現はしなやかで弾力があり、羽のような衣、X字型の天衣の裾、形式的な衣のしわの表現などは、中国の東魏及び西魏の仏像様式が反映されていることから、(資料が残されていないので正確な年代は特定できないが)6世紀後半頃の三国時代の制作と推定できる。これに対して、同時に展示される中宮寺の半跏像は、11個のクスノキの部材から組み立てられているが、飛鳥時代の作という以外に、その伝来等についてはよくわかっていない。
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