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2017/10/20

<トピックス>切手に見るソウルと韓国 第83回 大韓帝国120周年                                                         郵便学者 内藤 陽介 氏

  • 郵便学者 内藤 陽介 氏

    ないとう・ようすけ 1967年東京都生まれ。東京大学文学部卒業。日本文芸家協会会員、フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を研究。

  • 切手に見るソウルと韓国 第83回 大韓帝国120周年

    1895年に発行された「大韓加刷切手」㊧と1900年以降に発行された「李花(郵票)」と総称された切手

◆清朝の冊封国から脱し、大韓帝国が発足◆

 韓国の正式な国名が〝大韓民国〟であることは、あらためて言うまでもないが、この〝大韓〟という言葉は、1897年10月12日、朝鮮王朝が国号を大韓と改めたことによって生まれたもので、ことしはその120周年になる。

 朝鮮王朝は、1637年以来、清朝の冊封国となっていた。1875年の江華島事件を経て、1876年の日朝修好条規により開国を余儀なくされると、朝鮮国内では清朝との冊封体制を脱して近代化をすべきとする勢力(開化党)と、清国との関係維持を主張する勢力(事大党)とが対立。両者の対立は、最終的に、1894~95年の日清戦争で日本が勝利し、その講和条約(いわゆる下関条約)が結ばれたことで決着した。

 即ち、下関条約の第1条は「淸國ハ朝鮮國ノ完全無缺ナル獨立自主ノ國タルコトヲ確認ス 因テ右獨立自主ヲ損害スヘキ朝鮮國ヨリ淸國ニ對スル貢獻典禮等ハ將來全ク之ヲ廢止スヘシ(清国は朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する)」と謳っており、これにより、朝鮮は清朝の冊封体制から離脱するものとされたからだ。

 これを受けて、朝鮮の宮廷ではもはや清の藩属国でなくなった以上、冊封体制下の国名である〝朝鮮〟や地方君主の称号である〝国王〟を使用することは望ましくないという議論が起こり、1897年10月11日、高宗と儒者の沈舜澤のやり取りが行われた。

 すなわち、「我が国は三韓の地であるが、国の初めに天命を受けて一つの国に統合された。今、国号を〝大韓〟に定めてはいけない理由はない」と高宗が述べたのに対して、沈は「中国でも古代より、国号は以前のものを踏襲した例がありません。朝鮮は箕子がかつて周の武王から封じられた時の称号であるので、堂々とした皇帝の国として、その称号(朝鮮)をそのまま使うのは正しくありません…陛下の仰られることは当然のことで、あえて付け加えるような言葉はございません」と応じている。

 これを受けて、翌12日、高宗は、国号を〝朝鮮〟から三韓の上位に位置するものとして〝大韓〟に、元号も〝建陽〟から〝光武〟に改め、祭天の儀を行った。祭天の儀は、もともとは中国の歴代王朝の皇帝が冬至の日に天を祀るために天壇で行ってきた儀式だが、清朝の属国である朝鮮の王には祭天の儀を行う資格はないとされてきた。これに対して、下関条約で属国の立場を脱し、〝独立〟の立場となったことを示すため、高宗は天壇に倣った圜丘壇をつくり、みずから祭天の儀を行ったのである。


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